日本大百科全書(ニッポニカ) 「陳献章」の意味・わかりやすい解説
陳献章
ちんけんしょう
(1428―1500)
中国、明(みん)代中期の思想家。字(あざな)は公甫(こうほ)、号は石斎、白沙(はくさ)先生とも称される。追諡(ついし)は文恭。広東(カントン)省新会県白沙里の人。正統年間郷試に合格したが、以後は及第していない。27歳で朱子学者呉与弼(ごよひつ)(康斎)に学んだが、半年で去り読書生活に入った。しばしば推挙され翰林(かんりん)院検討の官を授けられたが故郷に帰り、以後任官することはなかった。陳献章の学は静を根本に据え、静坐(せいざ)によって心を明澄にする修養を説いた。静中に端倪(たんげい)(いとぐち)を得、そこから天地宇宙に充満する理を体得し、この理こそわが心にほかならないと確信するに至る。ここを体得すれば、「天地は我によって立ち、すべての現象は我から生まれ、宇宙は我にある」と説く。このように外的に規範を追求するのではなく、人間の心が本来具有している能力を信頼し、心のあり方に人間の主体性の確立を求める学問を心学とよぶが、王陽明(守仁(しゅじん))とともに心学の先駆をなした。著に『白沙子全集』がある。
[杉山寛行 2016年2月17日]