湯崎村(読み)ゆざきむら

日本歴史地名大系 「湯崎村」の解説

湯崎村
ゆざきむら

[現在地名]友部町湯崎

涸沼ひぬま川左岸にあり、東は長渡路ながとろ村、北は住吉すみよし村。中世宍戸氏の支配下にあり、同氏配下の湯崎館(舟形式の築城)が置かれていた。文禄元年(一五九二)から佐竹氏領、慶長七年(一六〇二)に秋田氏領となり、同年の御知行之覚(秋田家文書)に「住よし・ゆさき・なおさ村」として、村高四三五・九三石と記される。正保二年(一六四五)秋田氏移封後、一時天領となるが、天和二年(一六八二)宍戸藩領となり幕末まで続く。明治六年(一八七三)戸数は三五(友部町百年史)

住吉入会すみよしいりあいにある旧村社二所にしよ神社(祭神天鈿女命・伊弉諾命)は応永一〇年(一四〇三)創立で、すず明神と称し、明治六年熊野社を合祀して現社名となる。


湯崎村
ゆざきむら

[現在地名]白石町大字湯崎

杵島山中部の東麓に広がる水田地帯の街村。正保絵図に村名がみえる。

鎌倉時代に稲佐いなさ(現杵島山東麓一帯)地頭として幕府の御家人日向通益(のちの白石氏)が入部し、杵島山の東南中腹の稲佐山築城して支配した。江戸時代、この地は佐賀藩の大配分としての須古領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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