漲水港(読み)ぴやるみずこう

日本歴史地名大系 「漲水港」の解説

漲水港
ぴやるみずこう

[現在地名]平良市西里・西仲宗根

市街地の北にある港湾で、現在の平良港にあたる。近代以前は漲水泊・漲水港と称され(富川親方宮古島規模帳など)、古琉球から現在まで宮古島の玄関口として重きをなした。方音ではピャルミズという。平良港とするのは第二次世界大戦後。王府との交易は洪武二三年(一三九〇)那覇勢頭豊見親が宮古島東部の白川すさかー湾から出帆したことに始まるという(「球陽」察度王付条)白川氏二世の恵幹は天順年間(一四五七―六四)漲水港近くを拠点とする仲宗根豊見親を伴って中山に上っており(白川氏正統家譜)、一五世紀中頃には漲水港に交易の拠点が移ったと思われる。弘治一三年(一五〇〇)仲宗根豊見親はオヤケアカハチ事件に際して中山軍を八重山に先導し、その戦勝記念として港に面する漲水御嶽石垣を寄進している(忠導氏正統家譜)。宮古歌謡「狩俣祖神のニーリ」などでは「ぴゃるみジ」とみえ、「ふなむとぅ(船元)」と対句で、「鬼虎の娘のアヤゴ」では「ぴゃるみず(はり水)」は「おやさき(親崎)」と対句となっている。いずれも宮古島に着船した場面で、当港が宮古島の入口として謡われている。また「ハリ水ヌクイチャーアヤグ」(平良市史)では「パルミズヌ フナツキヌ スソゥンナグヨ(はり水の船着きの白砂が)」、「アーンナリ クミンナリ ヌブリクバヨ(粟になり米になって上ってくれば)」と港の白い砂が謡われている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の漲水港の言及

【平良[市]】より

…ほとんどが琉球石灰岩(一部は第三紀泥灰岩)からなる低平な台地であるが,北西から南東方向に走る数条の石灰岩堤が地形に変化を与えている。漲水(はりみず)港に面したピイサラ(平良。荷川取(にかどり),東仲宗根,西仲宗根,西里,下里の各字からなるが中心市街地をなし,このほかの集落は久松,池間,狩俣などで,カツオの遠洋漁業を中心とする漁業が盛んなほかは農村地域であり,サトウキビを中心に,タバコ,カボチャが栽培され,養蚕や肉用牛の畜産も盛んである。…

※「漲水港」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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