翻訳|couplet
同じ脚韻を重ねた二行連をいう。これだけで単独に、格言や警句として用いられることもあるが、普通、二行連句として続けて用いられることが多い。前者の例は、たとえば次のジョン・ゲイがつくった自分の墓碑銘がある。
Life is a jest, and all things show it. I thought so once, but now I know it.
(人生は冗談で、いっさいがそれを示している。かつてそう考えたが、いまではそれを知っている。)
このような墓碑銘は古くからギリシアで用いられ、またラテン詩人マルティアリスが得意とした。彼の影響で17世紀から18世紀にかけて風刺的な警句が流行した。
後者の連続して使う二行連句のなかでは、弱強五歩格iambic pentameterを用いたものを「英雄対句」heroic coupletとよび、やはり17世紀から18世紀にかけて風靡(ふうび)した「英雄詩」に広く使われた。シェークスピアが悲劇を書くために用いた無韻詩blank verseと対照的に、この規則的な英雄対句は警句的あるいは断定的に事柄を述べるのに適している。たとえば、このような例があげられる。
During his office, treason was no crime; The sons of Belial had a glorious time.
(彼の在職中には反逆は罪ではなかった。ベリアルの息子たちは時代をほしいままにした。)――ドライデン『アブサロムとアキトフェル』から
同じ調子で、哲学的な人生詩で、ポープも次のように使っている。
Know then thyself, presume not God to scan; The proper study of mankind is Man.(なんじ自身を知れ、神を測るなかれ。人間こそ人間たちの適切な課題なれば。)――ポープ『人間論』から
このように、対句は主として古典主義の精神にかなっている。
[新倉俊一]
日本文学においては、韻律や意味などで対照的な語句を並列させて、対照のおもしろさや均整の美しさなどの表現効果を志向する技法をいう。歌謡・和歌・漢詩文など韻文に用いられるが、韻律的な散文にも使われる。律調を重視する口唱文学や、修辞技巧を凝らす漢文学などの影響によってもたらされた技法であろう。記紀など上代の散文にもすでに多用されているが、とくに注目すべきは、『万葉集』の長歌、とりわけ柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の詠作であろう。「飛ぶ鳥の 明日香(あすか)の川の 上(かみ)つ瀬(せ)に 石橋(いはばし)渡し 下(しも)つ瀬に 打橋渡し 石橋に 生ひ靡(なび)く 玉藻(たまも)ぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ 枯るれば生ゆる」(巻2)のような、二句対や四句対を含んだ例がみられる。橘守部(たちばなもりべ)の『長歌撰格(せんかく)』など、近世に入り多くの研究が行われた。漢詩文集『和漢朗詠集』は対句の宝庫であり、『平家物語』の「祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者(じょうしゃ)必衰の理(ことわ)りを表はす」、『方丈記』の「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀(よど)みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しく留(とど)まりたる例(ためし)なし」など、名作の冒頭は対句を用いたものが少なくない。謡曲や浄瑠璃(じょうるり)なども、対句によって豊かな情調が表出されている場面が多い。中国文学でも詩文に多く用いられ、律詩(りっし)、駢文(べんぶん)などに特徴的に見られる。
[小町谷照彦]
中国の詩文における修辞上の技法の一つ。中国語では一般に〈対偶〉という名称のほうが用いられる。並列された同字数の2句が,語法上からも,意味上からもシンメトリックに対応しあうように構成された表現形式をいう。たとえば杜甫の五律〈岳陽楼に上る〉の
呉楚東南坼 呉楚 東南に坼(さ)け
乾坤日夜浮 乾坤 日夜に浮かぶ
に見られるような整然とした対称関係が両句の間に結ばれる必要がある。句を隔てて対称が成り立つ隔句対のようなものや,さらに多くの句間で対称しあう複雑なものもある。古くは《易経》の〈文言〉や〈繫辞伝〉,あるいは《老子》などで対句がよく用いられている。漢代ごろからより重視されるようになり,六朝時代にはその技巧が極度なまでの発展をみた。6世紀初めの文学理論書《文心雕竜(ちようりよう)》は,対句の存在意義を説いて,人体が手,足,耳,目のごとく左右相称の形を生まれながらにして賦与されているように,詩文においてもごく自然に対句の表現形式が生まれてくると述べている。そこに示唆されるように,一字一音節という漢語の特色や,バランス感覚を重んずる中国人の思考法とも密接なかかわりを有する修辞技法ということができる。
六朝から唐にかけては,音声における平仄(ひようそく)の対応関係も導入されて,対句の技術はいっそう精緻なものにみがきあげられていった。表現内容の面でも,初期の単なる反復表現から,しだいに2句間の対照効果に重点が置かれるようになって,奥行きを深めてきた。六朝から唐にかけて発達した駢文(べんぶん)は,対句を基本単位として構成される文体であり,また唐になって確立した律詩では,8句のうち中の4句を対句仕立てにすることが必須の条件とされる。今日の中国の詩文でも,対句表現は常用されるし,門聯(もんれん)など日常の生活様式に深く入りこんだ対句もある。空海の編んだ《文鏡秘府論》では,対句を29種に分かって分析している。日本でも,ことに漢文脈の文章で対句が多用される傾向がある。
執筆者:興膳 宏
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…文章では序,跋,記,銘,説などがあるが,最も注目すべきは,韻文と散文との中間に位する四六文(四六駢儷体(べんれいたい))すなわち駢文という第三の文体が,禅林において特に盛んに作成されたことである。この四六文は対句(ついく)のみでできていて,2句の対句と4句の対句がある。前者を短対(たんつい),後者を隔対(かくつい)といい,短対は軽快,隔対は重厚であり,重厚な隔対は重厚なるがゆえに2対つづけて用いず,必ずその間に軽快な単句を1対または2対挿入する。…
…北斉の李絵が6歳で塾にすすむことを強く希望しながら家族に反対されたというのは,はやい時代におけるこの風習の存在を伝えるものであり,魯迅もおなじ理由から7歳で塾にすすんだ。 塾の教科は〈識字〉〈読書〉〈習字〉〈対句(ついく)〉〈算数〉の五つに分かれるが,塾教育も科挙試験のための基礎過程とみなされることを免れず,そのため教科の内容にも一定の方向性が与えられた。〈識字〉の方法としては,まず方形のカードに楷書で書かれた文字を約1000字おぼえることから始め,つづいて書物にでてくる新しい文字を朱筆でしるしをつけるか欄外にぬきだしておぼえる。…
※「対句」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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