潟端村(読み)かたばたむら

日本歴史地名大系 「潟端村」の解説

潟端村
かたばたむら

[現在地名]両津市潟端

北は加茂かも湖、南から西にかけて現新穂にいぼ村・金井かない町、北西釜屋かまや村。集落は加茂湖周辺台地上にある。中央に中組、西側の諏訪組、東側の小田組の三組に分れる。「久知軍記」によると、天正五年(一五七七)七月頃本間泰時に攻められて、潟端殿の城は落城したとある。同一七年八月一日の吉井之内出置地覚(歴代古案)に「一ケ所 潟はた」とあり、他の旧藍原氏領とともに清水内蔵助・富所伯耆守の知行地となった。慶長五年(一六〇〇)検地帳(潟端区有)みえる有力長百姓には甲斐姓が多い。中世に入江の港であった中浦なかのうらの台地上にある観音堂の本尊聖観音の脇侍広目天背銘には、応永三四年(一四二七)五月銘で「わきの□そん共さいしき開明院住僧宝積坊五十四、だんないけの平右衛門」と刻され、池野氏一族も有力百姓である。

延宝九年(一六八一)の吉井十三ケ村名主組頭惣百姓口上書(潟端区有)によると、当村は吉井よしい一五ヵ村のうちにあり、潟上かたがみ(一部は現新穂村)との村境の論所について確認している。


潟端村
かたばたむら

[現在地名]神林村潟端

いし川右岸にあり、東は殿岡とのおか村、南は高御堂たかみどう村、北は下助淵しもすけぶち村に接する。西方には岩船潟が広がっていた。片端とも記される。永仁四年(一二九六)四月二〇日の小泉庄加納方下地中分状案(米沢市立図書館所蔵色部氏文書)に「潟はた」とみえる。文禄(一五九二―九六)頃の瀬波郡絵図には「河端村」とみえ「(本)納合百三拾五石 弐合 縄ノ高合百八拾八石四斗三升五合 家合八間」とある。近世は村上藩領。正保国絵図には「潟端村 三百五十石余」とある。享保一九年(一七三四)の村明細帳(板垣総兵衛氏蔵)によれば総計田一八町三反四畝・畑五反一畝余、家数九(うち百姓八)、馬五。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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