日本歴史地名大系 「濁川温泉」の解説
濁川温泉
にごりかわおんせん
近世後期から知られた温泉。町域北部を流れる濁川中流域にある。寛政三年(一七九一)の「東蝦夷地道中日記」に「ニコリカワは少の小沢あり、此奥壱里程上に温泉あり」とみえる。「文化二つの丑のとし、主の父、石蔵村村役人半左衛門と申ける人、いと救民の志深く、此山中の温泉を切開きたき旨願出ければ、時に大公儀御領御下役小川喜太郎、間宮林蔵御両君、上下の湯を巡覧したまひ且卯年の飢饉にも百姓退転多しといへども独り残られし功をもて新に一里四方の山を賜ひ、あまつさへ米十五俵金子拾両を下し賜はり、辱も切開へき旨仰蒙られぬ、人々力を相合せ日ならずして事成」(「濁川温泉縁起」北海道大学附属図書館蔵)、「寅ノ早春ヨリ道普請取掛リ卯之秋漸ク馬往来相成」(「加賀山旧事記」森町蔵)とあり、文化三年(一八〇六)から山道の開削と温泉場の開設が行われた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報