濠川・伏見浜(読み)ほりかわ・ふしみはま

日本歴史地名大系 「濠川・伏見浜」の解説

濠川・伏見浜
ほりかわ・ふしみはま

濠川は豊臣秀吉によって造成された伏見城下町外堀跡。下流毛利もうり橋から阿波あわ橋間を中心として、濠川両岸には数多くの浜があり、総称して伏見浜とよばれた。現在の濠川は一級河川上流端を伏見区堀詰ほりづめ町とし宇治うじ川派流に合する。約一・六キロ。

「豊公伏見城ノ図」によれば、伏見山上の城の西方を中心として城下町が形成されたため、外堀も城郭北西から城下町中心部を包みこむように西へいったんのび、しだいに西南方向にまわりこみ、南下して宇治川派流へ流入している。山城国伏見街衢並近郊図は、京町きようまち十丁目及び両替町りようがえまち十五丁目から北への道が合して伏見街道となる辺りに、外堀跡に形成されたほりうえ町を示し、堀ノ上町以東に松林を描いている。この松林が城下町時代の外堀跡を示すもので、堀ノ上町から東へ三四〇間で樋之上ひのうえ町に達し、樋之上町から更に東へ二八〇間ほど松林が続いていたことがわかる。城下町時代の外堀は、ほぼこの松林によって知られるような規模で造成されていたと推定される。

外堀は軍事的な意味だけでなく、運輸機能をもっていたと考えられ、江戸時代に入ると、外堀の水路が盛んに水運に利用されるようになる。水運に活用されるようになると軍事的な外堀という印象が消え、単に「ほり」とか濠(壕)川とよばれて、舟運の川筋として認識されるようになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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