20世紀日本人名事典 「照屋敏子」の解説 照屋 敏子テルヤ トシコ 昭和期の実業家 生年大正4(1915)年9月11日 没年昭和59(1984)年4月4日 出生地沖縄県糸満市 学歴〔年〕南洋実業専門学校(サイパン)卒 経歴両親と死別、昭和25年南洋に渡り、サイパン島の南洋実業専門学校を出て貿易会社に勤め、後独立して商売、当時の金で6000円を貯めた。10年小学校の恩師と結婚。戦後夫と死別、32年に南方漁業を手がけたが失敗、東南アジア諸国との貿易で、ワニ皮製品、サンゴ、宝石などを販売。さらに糸満市の海岸40万平方メートルを埋め立て、ウナギ、エビ、ハマチ、クロダイの養殖、ブドウ、メロン、マンゴーなどの栽培をした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「照屋敏子」の解説 照屋敏子 てるや-としこ 1915-1984 昭和時代の実業家。大正4年9月11日生まれ。20歳で当時の金で6000円をたくわえたという。戦後夫の死後,ワニ革製品,サンゴ,宝石の輸入など東南アジアとの貿易で巨富をきずく。また沖縄の糸満市海岸をうめたて,魚介類の養殖,果物の栽培もこころみた。昭和59年4月4日死去。68歳。沖縄県出身。サイパンの南洋実業専門学校卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「照屋敏子」の解説 照屋 敏子 (てるや としこ) 生年月日:1915年9月11日昭和時代の実業家1984年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by