熊登遺跡(読み)くまといせき

日本歴史地名大系 「熊登遺跡」の解説

熊登遺跡
くまといせき

[現在地名]朝日村大場沢 新田平

三面みおもて川の支流長津ながつ川左岸の旧氾濫原に接して比高約二〇メートルの河岸段丘と低丘陵が熊登から釜杭かまぐい方面に約三キロにわたって続き、この段丘を中心に存在する。段丘上面では昭和二〇年代初めですでに二、三ヵ所で遺物が発見され、朝日村公民館などに保管されていた。昭和五〇年(一九七五)八月耕地化に先立ち発掘調査が実施された。

段丘上面からは土坑一基と中世墳丘の周隍が検出されたにすぎなかったが、北面緩斜面からは多量の遺物が出土した。出土土器は縄文時代後期中葉から晩期前葉までのもので、I群は加曾利B式あるいは中越の三仏生式期のもの、II群は後期後葉(古)の肥厚した口縁と体部に羽状縄文と擦消縄文のあるもの、III群は当遺跡の主体をなす後期後葉(新)の土器でいわゆるこぶ付き土器の時期一群、IV群は晩期前葉(古)の三叉文にかかわるもの、V群は晩期前葉(新)の羊歯状文に関連する文様を主とする時期のものという五群に分類されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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