熊谷恒子(読み)クマガイ ツネコ

20世紀日本人名事典 「熊谷恒子」の解説

熊谷 恒子
クマガイ ツネコ

昭和期の書家 日展参与;堅香子会(かたかごかい)主宰



生年
明治26(1893)年1月28日

没年
昭和61(1986)年9月30日

出生地
京都市

本名
熊谷 恒

学歴〔年〕
京都府立二高女卒

主な受賞名〔年〕
勲五等宝冠章〔昭和42年〕,勲四等宝冠章〔昭和56年〕

経歴
代々続いた医者の家に生まれ、結婚後本格的に書を学ぶ。尾上紫舟、岡山高蔭らに漢字を師事する一方、かなは古典の臨書により独学。昭和7年泰道書道院展にはじめて出品。10年「枕草子」が帝室博物館買い上げ。21年日本書道美術院設立に参加。31年から大東文化大で教鞭をとり、42年教授。また堅香子会を主宰。32年第1回「現代書道20人展」(朝日新聞社主催)から毎年同展に参加。35年日展会員、38年審査員、43年評議員、45年参与。40年から皇太子妃美智子殿下へのご進講役も務めた。昭和の女流かな書家の第一人者。作品に「いろは帖」「書道(かな)」「恒子作品集」など。平成2年自宅が記念館として公開された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「熊谷恒子」の意味・わかりやすい解説

熊谷恒子
くまがいつねこ
(1893―1986)

女流書家。京都生まれ。祖父は詩名・書名ともに高く、太政官(だじょうかん)吏官を務めた江馬天江(てんこう)(1825―1901)。幼少より書をよくし、のちに岡山高蔭(たかかげ)(1866―1945)に師事して漢字を学び、仮名平安朝古筆独習した。30代で泰東書道展最高賞を受け、のち芸術協会展出品の『枕草子(まくらのそうし)』が帝室博物館買上げとなり、1982年(昭和57)には卒寿記念展出品の『万葉集和歌』1幅が東京国立博物館に収蔵される。57年より日展の審査員・評議員などを歴任。平安朝の伝統的な書法を体得して、流麗高雅な響きをたたえた独自の仮名の書境を築き、他の追随を許さぬ存在となった。

[古谷 稔]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「熊谷恒子」の解説

熊谷恒子 くまがい-つねこ

1893-1986 昭和時代の書家。
明治26年1月28日生まれ。江馬天江(えま-てんこう)の孫。岡山高蔭(たかかげ)にかな文字をまなび,平安朝の古筆を独習,独自の境地をひらく。作品に「枕草子」「万葉集和歌」など。日展審査員・評議員,大東文化大教授。昭和61年9月30日死去。93歳。京都出身。著作に「いろは帖」「七草帖」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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