熊野奥照神社(読み)くまのおくてるじんじや

日本歴史地名大系 「熊野奥照神社」の解説

熊野奥照神社
くまのおくてるじんじや

[現在地名]弘前市田町四丁目

町町内の北側で、八幡宮大久保おおくぼ堰に挟まれた地にあり、八幡宮への参道の東側に位置する。祭神は伊弉冉尊・事解男命・速玉男命。熊野三所くまのさんじよ神社ともよぶ。旧県社。

津軽一統志」に、大同二年(八〇七)坂上田村麻呂が創立し、その後源頼義藤原秀衡・源義経などが再建したとあるが不詳。天正一六年(一五八八)大浦(津軽)為信が修理し、慶長一五年(一六一〇)津軽信枚が再建して社領一三・九石を寄進したという(新撰陸奥国誌)。元禄一二年(一六九九)の万留帳(弘前大学蔵)によれば、慶長一七年の竿入では、境内は東西三八間・南北四八間、社地は東西一九間・南北二六間の広さであったとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む