片川村(読み)かたがわむら

日本歴史地名大系 「片川村」の解説

片川村
かたがわむら

[現在地名]御浜町片川

栗須くるす村の南、尾呂志おろし川の支流片川川の上流にある。北山街道の要所。長享二年(一四八八)の立合山定ノ文書に片川の地名がみえる(紀伊続風土記)中世は尾呂志氏領であったと考えられる。慶長六年(一六〇一)検地帳(徳川林政史蔵)には「尾呂志之内片河村」、慶長検地高目録(和歌山県間藤氏蔵)には「方川村」と記される。近世初期の家数九(「新宮藩御勘定方旧記」和歌山県史近世史料編)。入鹿組に属する。


片川村
かたかわむら

[現在地名]野村町片川

宇和川支流の片川流域急斜面の小山村。北は次ヶ川つがのかわ村、南は野村に接する。宇和島藩領。慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)宇和郡の項に「片川村 茅山有」とある。

太閤検地石高は九一石四斗八升、耕地面積の比率は田八〇パーセント、畑二〇パーセントであったが、寛文検地では石高は一・七倍に増加し、田三七パーセント、畑六三パーセントの比率に変化した。「墅截」による村柄は「下」、耕地は田畑とも「中」、水掛り「中」である。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田五反、畑八反六畝であり、百姓数二二人のうち本百姓一五人、半百姓四人、四半百姓二人、庄屋一人になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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