日本大百科全書(ニッポニカ) 「物部麤鹿火」の意味・わかりやすい解説
物部麤鹿火(もののべのあらかい)
もののべのあらかい
(?―536)
武烈(ぶれつ)、継体(けいたい)、安閑(あんかん)、宣化(せんか)4朝の大連(おおむらじ)。名は「あらかび」とも読み、麁鹿火、荒甲とも書く。武烈天皇没後、大伴金村(おおとものかなむら)らと継体(けいたい)の擁立を図り、功によりもとのごとく大連に任じられた。継体天皇6年(512)、大連大伴金村は百済(くだら)の要請をいれて任那(みまな)4県の割譲を決し、麤鹿火を宣勅使としたが、麤鹿火は妻の諫言(かんげん)により病と称して使を辞退した(後年四県割譲のことで金村は失脚した)。同21年(527)筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)が新羅(しらぎ)と通じて、征新羅将軍近江毛野(おうみのけな(ぬ))の渡海を遮ると、天皇は金村の推挙によって麤鹿火を起用し、筑紫以西をすべて彼にゆだねた。彼は翌年、筑紫の御井(みい)郡(福岡県久留米(くるめ)市)に戦って磐井を斬(き)り、乱を鎮めたという。しかし、その子孫で世に知られる者はいない。
[黛 弘道]