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狩野長信 かのうながのぶ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狩野長信
かのうながのぶ

[生]天正5(1577)
[没]承応3(1654).11.18.
桃山時代後期~江戸時代初期の画家。狩野松栄の4男で永徳,宗秀の弟。俗名左衛門,のち休白と号し,法橋に叙された。慶長年間京都で徳川家に拝謁,その後駿府,江戸で御用絵師として活躍。二条城行幸御殿における探幽,山楽らとの障壁画制作 (1626) が史料に残る。国宝『花下遊楽図屏風』 (東京国立博物館) の作者として著名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

狩野長信 かのう-ながのぶ

1577-1654 織豊-江戸時代前期の画家。
天正(てんしょう)5年生まれ。狩野松栄の4男。慶長のころ徳川家康に謁見し,駿府で御用絵師となり,のち江戸にうつる。元和(げんな)9年(1623)狩野宗家の貞信の早世に際し,狩野家の長老格として吉信とはかり,安信を宗家の養子にいれて後見人となり狩野派をまとめあげた。下谷御徒士町(おかちまち)狩野家の祖。承応(じょうおう)3年11月18日死去。78歳。号は休伯。作品に「花下遊楽図屏風」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

狩野長信

没年:承応3.11.18(1654.12.26)
生年:天正5(1577)
桃山・江戸前期の狩野派の画家。幕府の表絵師のひとつ,御徒町狩野家の祖。松栄の4男,休伯と号した。慶長年間(1596~1615)京都で徳川家康に拝謁,次いで駿府に下り,その御用絵師となった。慶長10(1605)年ごろ江戸へ赴き,寛永2(1625)年法橋となり,この地で没した。本格的に徳川家の御用を勤めた最も早い画家のひとりで,狩野家がこののち,幕府の御用絵師となる端緒を開いた点で,極めて重要な役割を果たした。代表作に「花下遊楽図屏風」(東京国立博物館蔵)がある。江戸谷中の信行寺に葬られた。<参考文献>結城素明『狩野長信の研究』

(榊原悟)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の狩野長信の言及

【安土桃山時代美術】より

…前期の永徳画《洛中洛外図屛風》や,狩野秀頼の《高雄観楓図屛風》(東京国立博物館)などのあとをうけて,後期でも狩野派が風俗画制作にめざましく活躍した。狩野内膳筆《豊国祭礼図屛風》(豊国神社),狩野長信の《花下遊楽図屛風》(東京国立博物館)などは現世の享楽を素直に肯定しようとする人々の生活態度が反映されている。また南蛮美術は,ポルトガル人の渡来に伴う桃山文化の国際的性格を反映したもので,後期に流行した。…

【狩野派】より

…室町中期から明治初期まで続いた,日本画の最も代表的な流派。15世紀中ごろに室町幕府の御用絵師的な地位についた狩野正信を始祖とする。正信は俗人の専門画家でやまと絵と漢画の両方を手がけ,とくに漢画において時流に即してその内容を平明なものにした。流派としての基礎を築いたのは正信の子の元信である。漢画の表現力にやまと絵の彩色を加えた明快で装飾的な画面は,当時の好みを反映させたものであり,また工房を組織しての共同制作は数多い障壁画制作にかなうものであった。…

※「狩野長信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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