デジタル大辞泉
「狭野弟上娘子」の意味・読み・例文・類語
さののおとがみ‐の‐おとめ〔‐をとめ〕【狭野弟上娘子】
奈良中期の女流歌人。狭野茅上娘子とする写本もある。中臣宅守との別離の悲しみを詠んだ相聞歌が万葉集に収められている。生没年未詳。
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さののおとがみ‐の‐おとめ‥をとめ【狭野弟上娘子】
- ( 「弟」を「茅」とする古写本によって、「さののちがみのおとめ」とする説もある ) 奈良時代、万葉集第四期の女流歌人。斎宮寮の下級女官。後宮令の蔵司(くらつかさ)の女嬬の意とする説もある。禁制を犯して中臣宅守と通じたため、勅勘にふれて宅守は越前に流された。その別離の悲しみをよんだ清新で情熱的な相聞歌が「万葉集」に見える。生没年不詳。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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狭野弟上娘子
さののおとがみのおとめ
生没年不詳。『万葉集』後期の、奈良朝の女流歌人。『万葉集』諸本には「狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)」とある本もあるが、「弟上」とあるほうが正しいらしい。『万葉集』巻15には、越前(えちぜん)国(福井県)に流罪となった中臣宅守(なかとみのやかもり)との間に詠み交わされた63首(すべて短歌)があり、そのうちの23首が娘子の歌として伝わるすべてである。宅守の配流の原因は詳しくはわからないが、娘子が天皇や祭祀(さいし)に仕える蔵部女嬬(くらべのにょじゅ)であったらしいところから、宅守が禁忌を犯して娘子を娶(めと)ったためとも考えられる。天平(てんぴょう)12年(740)ごろのことであったらしい。娘子の歌は、配流の地にある夫を思う内容であるだけに、きわめて熱情的で、絶叫的な表現にさえなっており、集中でも特異な位相にある。
君が行く道のながてを繰(く)りたたね焼きほろぼさむ天の火もがも
[鈴木日出男]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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