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中臣宅守 なかとみの やかもり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中臣宅守 なかとみの-やかもり

?-? 奈良時代の官吏,歌人。
中臣東人(あずまひと)の7男。女官狭野茅上娘子(さのの-ちがみのおとめ)をめとったために越前(えちぜん)に流され,そのときの娘子との贈答歌40首が「万葉集」巻15におさめられている。のちゆるされるが,天平宝字(てんぴょうほうじ)8年(764)藤原仲麻呂(なかまろ)の乱に連座して除名され,消息不明となった。
【格言など】逢はむ日をその日と知らず常闇(とこやみ)にいづれの日まで吾(あれ)恋ひ居らむ(「万葉集」)

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

中臣宅守

生年:生没年不詳
奈良時代の歌人。『万葉集』巻15の目録に,蔵部の女孺(後宮蔵司の女官か)狭野茅上娘子を娶ったときに流罪に断ぜられたとあり,越前国に配流。原因は,時の政情に絡むかと推測されるが,禁を犯して娘子と結ばれたためともいう。天平12(740)年6月の大赦では「赦の限りに在らず」とされており,罪せられたのは同11年2月の大赦以後か。同13年9月の大赦で帰京した蓋然性が高い。天平宝字8(764)年藤原仲麻呂の乱に連座して除名(重罪の官人から位勲のすべてを剥奪する付加刑)。『万葉集』の40首は,配所での,都の娘子との贈答が主だが,娘子の23首をも含め,編者(大伴家持か)の手で再構成されたといわれ,全体が悲劇的な愛の物語の趣を呈する。<参考文献>吉井巌『万葉集全注/巻15』

(芳賀紀雄)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

なかとみのやかもり【中臣宅守】

万葉歌人。生没年不詳。東人(あずまと)の七男。《万葉集》の目録によれば,蔵部の下級女官であった狭野茅上娘子(さののちがみのおとめ)を娶ったときに,勅断されて越前に流された。流罪は740年(天平12)初めより741年夏ごろまでらしいが,原因は未詳。763年(天平宝字7)従五位下,翌年恵美押勝の乱により除名された。配流時に娘子と交わした63首が巻十五に収められ,うち宅守は40首。〈畏(かしこ)みと告(の)らずありしをみ越道(こしじ)の手向に立ちて妹が名告りつ〉。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中臣宅守
なかとみのやかもり

生没年未詳。『万葉集』の歌人。東人(あずまひと)の第七男。740年(天平12)ごろ、蔵部女嬬(くらべのにょじゅ)狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)をめとり、勅断によって越前(えちぜん)国(福井県)に流された。同年6月の大赦には漏れたが、のち許され、763年(天平宝字7)従(じゅ)五位下。このころ神祇大副(じんぎのたいふ)であったらしい。しかし翌年9月の恵美押勝(えみのおしかつ)(藤原仲麻呂(なかまろ))の乱に座して除名された。以後消息不明。作品は短歌40首。配流の直後から途中、到着後に娘子と贈答した恋の歌のみを残す。作風は概して類想的だが、佳作もみられる。
 今日もかも都なりせば見まく欲(ほ)り西の御厩(みまや)の外(と)に立てらまし[橋本達雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の中臣宅守の言及

【狭野茅上娘子】より

…《万葉集》の目録によれば蔵部の女嬬(によじゆ)であったというが,後宮蔵司の下級女官か。中臣宅守(なかとみのやかもり)の妻となったとき,宅守が勅断されて越前に流され,離別して暮らす二人の間で贈答した63首が巻十五に収められている。そのうちの娘子の23首以外には,娘子に関して伝えるところはない。…

※「中臣宅守」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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