琵琶島城(読み)びわじまじょう

日本の城がわかる事典 「琵琶島城」の解説

びわじまじょう【琵琶島城】

新潟県柏崎市にあった平城(ひらじろ)(川城)。蛇行する鵜川が多くの支流を集める合流点に築城された城である。柏崎湊近く、舟運を利用できる城として、軍事的にも経済的にもたいへん価値の高かった城といわれる。南北朝時代の初期、越後守護に任じられた上杉憲顕に従って越後に入った伊豆国の豪族の宇佐美氏が築城したといわれるが、築城年代は不明である。越後守護および関東管領の上杉氏と守護代の長尾氏が争った越後永正の乱では守護の上杉方に与していた。1513年(永正10)、守護の上杉定実は上条(じょうじょう)城(柏崎市)の上条定憲、琵琶島城主の宇佐美房忠らとともに長尾為景に対して挙兵し、小野城(上越市)を拠点に戦った。しかし、翌1514年初めに小野城は落城し、宇佐美房忠らは岩手城(上越市)に退いて戦ったが、房忠を含む一族のほとんどが討ち死にした。その後、長尾景虎(のちの上杉謙信)の代に城主の宇佐美定満が景虎に臣従し、軍師として活躍したといわれる。しかし、1564年(永禄7)、謀反の疑いがあった坂戸城(南魚沼市)の長尾政景とともに、坂戸城近くの野尻池で謎の溺死をとげ、宇佐美氏は没落した。その後、琵琶島城には前島修理亮が入城した。1578年(天正6)に上杉謙信が急死し、その後継をめぐって、上杉景勝上杉景虎の2人の養子が越後を二分して争う御館の乱が起こった。このとき、前島修理亮は上杉景虎を支持したため、上杉景勝が近隣の旗持城(柏崎市)の城将・佐野清左衛門尉に宛てて、琵琶島城への備えと同城から景虎の籠もる御館(上越市)への物資の流れを阻止し、前島修理亮を味方に引き入れるようにとの書状を出している。前島修理亮は御館へ船で物資を輸送しようとしたが、佐野清左衛門尉の攻撃によりこれを阻止され、まもなく降伏・開城している。同乱後、琵琶島城には桐沢具繁が入城したが、1598年(慶長3)の上杉景勝の会津転封にともない廃城となった。琵琶島城の遺構として土塁などが昭和初期まで残っていたといわれるが、その後の河川の改修や柏崎農業高校(現柏崎総合高校)の建設により失われてしまった。現在、柏崎総合高校の敷地内に城址があったことを示す碑が建っている。JR信越本線・越後線柏崎駅から徒歩約20分。◇宇佐美城ともよばれる。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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