瓜生岩(読み)ウリュウイワ

デジタル大辞泉 「瓜生岩」の意味・読み・例文・類語

うりゅう‐いわ〔うりふいは〕【瓜生岩】

[1829~1897]婦人社会事業家。福島の生まれ。孤児貧民救済、婦人の授産指導などに尽力した。会津済生病院を創設

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精選版 日本国語大辞典 「瓜生岩」の意味・読み・例文・類語

うりゅう‐いわ【瓜生岩】

  1. 婦人社会事業家。福島県出身。福島救育所、済生病院、瓜生会などを設立して、貧民孤児や刑余者の救済に尽くす。文政一二~明治三〇年(一八二九‐九七

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改訂新版 世界大百科事典 「瓜生岩」の意味・わかりやすい解説

瓜生岩 (うりゅういわ)
生没年:1829-97(文政12-明治30)

明治前期の慈善事業家で,仏教思想に基づく育児事業の先駆者。会津に生まれ,維新の会津戦争下で傷兵や窮民の看護にあたるとともに,敗戦荒廃の中で私財を投じて子弟の教育に尽力した。その直後に上京し,貧民救済の実際に学び,郷里の空寺を活用して婦人の授産指導,相談活動に努めた。彼女のこうした堕胎圧殺防止への取組みは,のちに窮児孤児のための福島救育所の設立(1889),仏教徒による福島鳳鳴会の組織化(2年後育児部が独立),会津済生病院の設立(ともに1893)等に広がっていった。1891年には,東京市養育院長渋沢栄一の招きで幼童世話掛長となり,短期間ながら多大の実績をあげている。死後,四恩瓜生会が結成された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「瓜生岩」の意味・わかりやすい解説

瓜生岩
うりゅういわ
(1829―1897)

明治の女性社会事業家。児童・窮民救済に活躍。会津(あいづ)に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争による会津若松落城の際、傷病兵、窮民の看護にあたり、また、旧藩校日新館の再興子女の教育や授産の指導、さらに堕胎、間引きなどの悪習打破に努めた。いったん上京後帰郷し、1889年(明治22)に福島救育所をおこして窮民・孤児を収容。1891年再度上京し、東京市養育院の幼稚世話係長となったが、同年10月帰郷。会津済生病院、福島鳳鳴会(ほうめいかい)育児部、産婆研究所などを設立。出獄人保護にもかかわった。1894年「瓜生会」を結成し事業の拡大を行った。日清(にっしん)戦争に際しては傷病兵の救済に協力。仏教関係の女性慈善家として多彩な生涯を終えた。東京・浅草公園に銅像がある。

[小倉襄二]

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朝日日本歴史人物事典 「瓜生岩」の解説

瓜生岩

没年:明治30.4.19(1897)
生年:文政12.2.15(1829.3.19)
明治前期の女性慈善事業家。陸奥国耶麻郡熱塩村(福島県熱塩加納村)生まれ。父渡辺利左衛門,母りえ。瓜生は母の姓。幕末から明治維新にかけて,この地方に行われていた堕胎圧殺,捨て子防止に関心を持った。維新直後幼学校を開き,妊婦の救済に努め,戊辰戦争戦死者の施餓鬼を行った。明治24(1891)年渋沢栄一院長を助けて東京市養育院幼童世話係長となり,児童処遇の革新に当たったが,間もなく郷里福島に帰り,産婆看護婦養成所,福島育児院などを設立した。<参考文献>奥寺竜渓『瓜生岩子』,吉田久一『日本近代仏教社会史研究』上

(吉田久一)

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百科事典マイペディア 「瓜生岩」の意味・わかりやすい解説

瓜生岩【うりゅういわ】

女性社会事業家。福島の生れ。福島救育所,福島育児所,済世病院を創立。また出獄人保護事業も行い,瓜生会を起こした。女性で初めて藍綬褒章を受章。

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