明治前期の慈善事業家で,仏教思想に基づく育児事業の先駆者。会津に生まれ,維新の会津戦争下で傷兵や窮民の看護にあたるとともに,敗戦の荒廃の中で私財を投じて子弟の教育に尽力した。その直後に上京し,貧民救済の実際に学び,郷里の空寺を活用して婦人の授産指導,相談活動に努めた。彼女のこうした堕胎圧殺防止への取組みは,のちに窮児孤児のための福島救育所の設立(1889),仏教徒による福島鳳鳴会の組織化(2年後育児部が独立),会津済生病院の設立(ともに1893)等に広がっていった。1891年には,東京市養育院長渋沢栄一の招きで幼童世話掛長となり,短期間ながら多大の実績をあげている。死後,四恩瓜生会が結成された。
執筆者:土井 洋一
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明治の女性社会事業家。児童・窮民救済に活躍。会津(あいづ)に生まれる。戊辰(ぼしん)戦争による会津若松の落城の際、傷病兵、窮民の看護にあたり、また、旧藩校日新館の再興、子女の教育や授産の指導、さらに堕胎、間引きなどの悪習打破に努めた。いったん上京後帰郷し、1889年(明治22)に福島救育所をおこして窮民・孤児を収容。1891年再度上京し、東京市養育院の幼稚世話係長となったが、同年10月帰郷。会津済生病院、福島鳳鳴会(ほうめいかい)育児部、産婆研究所などを設立。出獄人保護にもかかわった。1894年「瓜生会」を結成し事業の拡大を行った。日清(にっしん)戦争に際しては傷病兵の救済に協力。仏教関係の女性慈善家として多彩な生涯を終えた。東京・浅草公園に銅像がある。
[小倉襄二]
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