生きた新聞(読み)いきたしんぶん(その他表記)Living Newspaper

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生きた新聞」の意味・わかりやすい解説

生きた新聞
いきたしんぶん
Living Newspaper

1935年のルーズベルト大統領のニューディール政策一環である連邦演劇計画の1部門としてアメリカで発達した演劇の一形式。新聞組合の協力を得て,現代の政治・社会問題を題材とし,テンポの速い短いシーンの連続で問題を提起し,説明し,最後にその解決を強く主張するという時事解説的な構成をとる。代表的なものに,低価格住宅の供給推進を提唱した『国家の3分の1』 One-Third of a Nation (1938) ほかがある。この手法は第2次世界大戦中,イギリスでも軍隊内におけるプロパガンダ成人教育に利用され効果をあげた。

生きた新聞
いきたしんぶん
Zhivaya Gazeta

ジバーヤ・ガゼータ。 1920年代のソ連に現れ,時事問題を取上げながら,プロパガンダを目的とした演芸の1種。スケッチモノローグ,歌,踊りなどによって構成する。労働者サークル活動なかへ浸透して発達した。

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