石川達三の長編小説。1938年(昭和13)3月『中央公論』に発表。1937年暮れから1か月余、中央公論社特派員として中支(華中)戦線に従軍した見聞をもとにしてつくられた小説。日本兵の残虐な生態、戦線にかり出されて変貌(へんぼう)していく青年たちの姿などがルポ的手法により多彩に描かれている。発表後、新聞紙法違反に問われ、編集者とともに起訴され、検事控訴で二審までゆき、禁錮4か月、執行猶予3年。当時の文学作品に戦争を描く限界のテスト・ケースとなった作品。戦後の1945年12月河出書房から公刊された。
[久保田正文]
『『生きている兵隊』(新潮文庫)』
…明確な反戦・反軍的な作品が現れたのは,シベリア出兵の体験に取材した黒島伝治の《渦巻ける烏の群》(1928)以後で,昭和初期にかけて,立野信之《軍隊病》(1928),黒島伝治《武装せる市街》(1930)のほか,左翼文芸家総連合編の《戦争ニ対スル戦争》(1928)などが書かれた。やがて日中全面戦争が勃発し,石川達三の《生きてゐる兵隊》(1938)が発禁となって,以後,中国大陸に派遣された〈ペン部隊〉とよばれる従軍作家たちは,戦争を全肯定する立場でしか作品を書けなくなった。わずかに,兵士としての火野葦平の《麦と兵隊》《土と兵隊》(ともに1938)や,上田広の《黄塵》(1938)などが戦場の一面を伝えたにとどまった。…
…樗陰のつくりあげた伝統は嶋中雄作によって受け継がれ,その自由主義的編集は,昭和10年代のファシズム期にしばしば言論弾圧を被らざるをえなかった。石川達三《生きてゐる兵隊》事件はその代表的なものであり,1944年には横浜事件を契機に廃刊に追い込まれた。第2次大戦後の46年1月号から復刊。…
※「生きてゐる兵隊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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