生葉郡(読み)いくはぐん

日本歴史地名大系 「生葉郡」の解説

生葉郡
いくはぐん

筑後国東部の北端に位置し、西は竹野たけの郡・上妻こうづま郡、南は耳納みのう山地を境に上妻郡、東は豊後国日田郡、北は筑後川を境に筑前国上座じようざ郡に接する。およその近世の郡域は現在の浮羽うきは浮羽町・同郡吉井よしい町の西端を除く大部分、八女やめ星野ほしの村に相当する。

〔古代〕

郡名の由来について、「日本書紀」景行天皇一八年八月条には「的邑に到りて進食す。是の日に、膳夫等、盞を遺る。故、時人、其の盞を忘れし処を号けて浮羽と曰ふ。今的と謂ふは訛れるなり。昔筑紫の俗、盞を号けて浮羽と曰ひき」とみえ、盞(ウキ)のことを「浮羽」とよんだので、これを忘れた場所を「浮羽」と称し、これが訛っていくは邑となったとしている。「筑後国風土記」逸文(釈日本紀)にもほぼ同様の説話を載せるが、ここでは景行天皇が「惜しきかも。朕が酒盞はや」と言ったことから「宇枳波夜郡」(ウキハヤノコホリ)とよんだが、後の人がこれを誤って「生葉郡」となったという。「豊後国風土記」日田郡条に「筑後国生葉行宮」がみえる。「和名抄」諸本とも文字の異同はなく、東急本は「以久波」と訓ずる。郡名の初見は、霊亀二年(七一六)年紀をもつ「筑後国生葉郡煮塩年魚伍斗(上カ)」と記した平城宮跡出土木簡(平城宮木簡二)である。「和名抄」には管郷として大石おおいし山北やまきた姫沼ひめぬ物部もののべ椿子つばこ小家おえ高西こせの七郷が記されている。大同元年(八〇六)の牒(新抄格勅符抄)によれば、丙戌年(朱鳥元年、六八六年)に観世音寺(現太宰府市)に対して筑前国一〇〇戸・筑後国一〇〇戸の封戸が施入された。延喜五年観世音寺資財帳の山章にも封戸二〇〇戸の記載があり、その内訳は筑前国の碓井うすい封五〇戸(嘉麻郡碓井郷)金生かのう封五〇戸(鞍手郡金生郷)、筑後国の生葉郡大石封五〇戸(大石郷)山北封五〇戸(山北郷)であった。この碓井封・金生封・大石封・山北封は四封と総称され、観世音寺の経済的基盤の一端を形成していた。前掲観世音寺資財帳の水田章に、和銅元年(七〇八)一〇月二〇日の太政官符によって観世音寺に施入された筑後国の墾田一六町のうちに「生葉郡四町」がみえ、庄所章には「生葉庄」の記載もみえる。このほか現久留米市の筑後国府第I期(古宮国府)政庁域の南東に位置する三反野さんたんの地区では銅鍛冶工房跡が確認され、「□井少領」「生葉」と記された墨書土器が出土しており(久留米市史)、国府の所在郡である御井みい郡とともに、生葉郡がこの工房に関係していた可能性も指摘されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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