生野郷(読み)いかのごう

日本歴史地名大系 「生野郷」の解説

生野郷
いかのごう

古代の多度たど郡生野郷(和名抄)の郷名を継いだ中世郷。生野町・生野本いかのほん町を遺称地とし、一帯に比定される。承元三年(一二〇九)善通寺御影堂の空海自筆と伝える大師御影が、讃岐国知行国主藤原頼実によって都に請来され、後鳥羽上皇も拝観した。同年八月御影の帰国に際し、生野郷内重光名見作田六町を毎年善通寺御影堂に奉免し、理趣三昧の勤行と御影堂修理の料に充てるという国司庁宣(善通寺文書)が出された。仁治四年(一二四三)讃岐に配流された道範の「南海流浪記」には、この御影請来と免田寄進は後鳥羽上皇によると記される。寄進の内容は浮免のかたちであったと思われる。宝治三年(一二四九)三月、当郷西部の地域を善通寺領に準じて四至を定め殺生禁断の地とすること、および知行国主九条道家の意向によって四至内の公田一二町を善通寺修理料に充てる旨の国司庁宣(善通寺文書)が出された。


生野郷
いかのごう

和名抄」高山寺本は郷名を欠く。東急本には「伊加乃」と訓を付す。中世には公領の生野郷がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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