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城攻め シロゼメ

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デジタル大辞泉の解説

しろ‐ぜめ【城攻め】

敵の城を攻めること。

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世界大百科事典 第2版の解説

しろぜめ【城攻め siege】

城を攻めること,攻城術をいう。
[日本]
 所領支配の拠点としての城の性格が強まり,その規模も拡大した戦国期から近世初頭までを中心に述べる。包囲,接近,突入と占領の三つの段階からなる。第1の段階は,城を政治的・軍事的に孤立させ,城内と外部の支援勢力との連絡を絶つことに目的がある。籠城する側は,城の周辺の土地から兵糧など必要な物資を城に取り込み長期戦に備えるとともに,攻め方にそれらの物資を利用されることを防ぐ。

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大辞林 第三版の解説

しろぜめ【城攻め】

城を攻めること。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

城攻め
しろぜめ

城を直接攻める戦法を城攻めといい、原始から近世に至るまで多くの事例をみいだすことができる。古くは高地性集落や環濠(かんごう)集落とよばれる弥生(やよい)時代の城郭遺跡で、城攻め合戦の痕跡(こんせき)が相次いでみつかっている。古代大和(やまと)政権下では、東北地方の反乱拠点に城が利用され、出羽俘囚(でわふしゅう)の乱(878)の秋田城、前(ぜん)九年の役(1051~62)の鳥海柵(とりうみのき)・厨川柵(くりやがわのき)、後(ご)三年の役(1083~87)の金沢柵(かねさわのき)などが城攻めの舞台となった。中世に入り、鎌倉時代末から南北朝争乱期にかけては、城に立てこもる籠城(ろうじょう)と、これを攻撃する城攻めが合戦の主流となった。
 武門武士間の抗争に代表される鎌倉時代の合戦様式は、武術を競う武士階級間の野戦であったが、やがて荘園(しょうえん)公領制の矛盾から新たに発生した脱農民層が悪党組織をつくり、山城(やまじろ)に立てこもるようになった。そのなかから足軽とよばれた傭兵(ようへい)が出現し、一騎打ち勝負の武士戦法にかわる集団戦・ゲリラ戦が広がった。こうして、山城構築→刈田狼藉(かりたろうぜき)→籠城→遵行使(じゅんこうし)との対決という経過がみられ、悪党行為と山城が表裏一体の関係になった。南北朝争乱期には山城が南朝軍に利用され、足軽が組織されてゲリラ戦が一般化するにしたがい、武術に戦術が加わり、これが城の攻防戦に多くのくふうを生む転機となった。史上名高い笠置山(かさぎやま)城、赤坂城、千早城、船上山(せんじょうさん)城、霊山(りょうぜん)城の合戦は、峻険(しゅんけん)な山岳突端部を山城として南朝側が立てこもり、足利(あしかが)勢と戦ったものであった。
 室町時代になると、守護大名などにより、居館を伴う壮大な山城が築かれ、地域支配の拠点となった。関東の平野部では、舌状丘陵や台地上に城郭が営まれた。この時代の代表的な城攻めは、小山(おやま)氏の乱(1380)の小山城、永享(えいきょう)の乱(1438)に引き続いた結城(ゆうき)城合戦(1440~41)、嘉吉(かきつ)の乱(1441)で播磨城山(はりまきのやま)城に籠城した赤松満祐(あかまつみつすけ)とこれを攻めた足利幕府軍との戦いなどがある。応仁(おうにん)の乱(1467~77)では、京都市中に多くの臨戦築城である陣城(じんじろ)が築かれ、陣城争奪戦が中心となった。とくに井楼(せいろう)と石火矢(いしびや)が陣城に盛んに設置されたことが当時の『碧山(へきざん)日録』『山科家礼記(やましなけらいき)』に記されている。井楼とは組み上げ式の櫓(やぐら)で、10余丈(30メートル以上)に及ぶものもつくられた。石火矢とは、火薬で大石を発射させる大砲の原始的なものである。
 同じころ、関東では、関東管領(かんれい)家執事職をめぐって大乱が起こった。長尾景春(かげはる)の乱とよばれる戦いは30回以上を数え、反乱軍が籠城、太田道灌(どうかん)が城攻めを行った。道灌は足軽戦法を用い、雑兵を組織化、陣城をもって敵方城郭を攻めて、21か城をすべて攻略したと伝えられる。自らの居城江戸城は、道灌がかりとよばれる城取り(築城とそのプラン)をもって築き、強固な城郭とした。
 1491年(延徳3)10月伊勢宗瑞(いせそうずい)(北条早雲(そううん))は伊豆の乱を起こして足利茶々丸を韮山(にらやま)城に不意打ちして伊豆一国を手中に収め、1495年(明応4)相模(さがみ)の名族大森氏の居城小田原(おだわら)城を夜襲、関東進出の基盤を築いた。この城攻めは奇襲とよばれる戦法で、戦国時代の幕開きとなり、戦国大名の出現となった。戦国大名は、被官となった在地武士や農民に軍役、夫役(ぶやく)を課して軍団を組織し、種々の城攻め戦略が兵法(主として兵法七書)を基本に考案、実施された。
 城攻めは大別して、前述の奇襲と正攻法とがある。正攻法は宣戦布告にかわる陣触(じんぶれ)を大々的に行ってから城攻めするもので、織田信長や豊臣(とよとみ)秀吉が攻略した小谷(おだに)城、石山本願寺、朝倉氏の一乗谷城、鳥取城、小田原城の各戦で行われた。このほか、城が小規模、弱小の場合や、多くの損害を覚悟で早急に陥落させたい場合などには強襲(一時(いっとき)攻め)が行われた。
 また、城攻めの手段として、〔1〕平攻め、〔2〕火攻め、〔3〕水攻め、〔4〕枯渇(こかつ)攻め、〔5〕兵糧(ひょうろう)攻め、〔6〕金掘(かねほり)攻め、などがあった。〔1〕は仕寄(しより)攻めともいわれ、敵城の正面である大手方面から攻めるもので、楯(たて)・竹束などを並べ、高櫓(たかやぐら)を建て、我屈洞(がくつどう)で近寄り、塹壕(ざんごう)を掘り、埋め草で堀を埋め、梯子(はしご)を使って攻め入る方法がとられた。城側は裏手から兵を出し、これを搦(から)め捕る方法(搦手)が用いられた。〔2〕は火矢をもって城下や敵城を火攻めにし炎上させる戦法で、奇襲や強襲の際にしばしば用いられた。〔3〕は灌流攻めともいい、城の周囲に堤を築いて堰(せき)から河川を引き入れ、城を孤立化させ、兵糧や援軍の補給を遮断する方法で、秀吉の備中(びっちゅう)高松城、紀伊太田城、武蔵忍(むさしおし)城攻めが有名。〔4〕は城の井戸や溜井(ためい)(水の手)を破壊して城兵を干ぼしにする方法で、武田信玄(しんげん)による箕輪(みのわ)城、二俣(ふたまた)城攻めが知られる。〔5〕は大軍をもって城を包囲、兵糧補給を断ち、自滅を待つ方法で、長囲(ちょうい)(遠巻き)ともいわれ、秀吉による三木城、鳥取城、小田原城や、島原の乱の原城などが知られる。〔6〕は坑夫を使い城外からトンネルを掘って城内に兵を入れる方法で、駿河(するが)深沢城、常陸(ひたち)小田城、小田原征伐での水之尾口の合戦などが史料に伝えられる。[西ヶ谷恭弘]

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