日本歴史地名大系 「田土村」の解説 田土村たどむら 岡山県:上房郡賀陽町田土村[現在地名]賀陽町田土矢野(やの)村の南東にあり、宇甘(うかい)川を挟んで南北に広がる。集落は上流より西(にし)・湯之尻(ゆのしり)・川西(かわにし)・土生(はぶ)・吉長(よしなが)・川東・宗兼(むねかね)・下田土・仁熊(にぐま)と続き、備前国加茂市場(かもいちば)村(現御津郡加茂川町)に接する。当村・湯山(ゆやま)村・吉川(よしかわ)村を通る大山(だいせん)往来がある。古代賀陽郡多気(たけ)郷の「田次里」(天平一一年「備中国大税負死亡人帳」正倉院文書)の遺称地とする説がある。寛永備中国絵図に「田戸村」とみえ、高一千一二一石余。 田土村たどむら 京都府:北桑田郡美山町田土村[現在地名]美山町大字盛郷(もりさと) 田土鶴(つる)ヶ岡(おか)一九ヵ村の一。由良川の支流棚野(たなの)川流域の、若狭(高浜)街道沿いに開けた山間集落。北西(上流)は上吉田(かみよしだ)村、川を南に下れば殿(との)村。古代は「和名抄」に記す弓削(ゆげ)郷に属する地。鎌倉時代末期には弓削庄の一部であったが、のち野々村(ののむら)庄に包含されたともいわれる。室町中期には一時管領細川氏領となったというが(大正一二年「京都府北桑田郡誌」)、確証はない。 田土村たつちむら 高知県:幡多郡大月町田土村[現在地名]大月町芳の沢(よしのさわ) タツチ現宿毛(すくも)市小筑紫(こづくし)港の入口、蛭(えびす)鼻の西南にある海岸の村。芳ノ沢村の北に位置する。天正一七年(一五八九)の吉野沢村地検帳に吉野沢(よしのさわ)村内の地域名として「田土ノ浦」とみえる。検地面積一町五反余、屋敷数一。すべて依岡弥次良給。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by