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田尻稲次郎 たじり いなじろう

美術人名辞典の解説

田尻稲次郎

官僚・財政学者。京都生。幼名は三次郎、号を北雷。渡米し、エール大卒。帰国後、大蔵省に入り大蔵次官等を歴任大隈重信・松方正義蔵相らを補佐して近代的財政・金融制度の確立、日清戦後経営に尽力した。貴族院議員会計検査院長・東京市長等を歴任。子爵。大正12年(1923)歿、74才。

出典 (株)思文閣美術人名辞典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

田尻稲次郎 たじり-いなじろう

1850-1923 明治-大正時代の官僚,財政学者。
嘉永(かえい)3年6月29日生まれ。明治4年渡米してエール大で財政学,経済学をまなび,帰国後大蔵省にはいり,主税局長,大蔵次官となる。のち会計検査院長,東京市長などを歴任。この間帝国大学教授,貴族院議員もつとめた。大正12年8月15日死去。74歳。京都出身。号は北雷。著作に「経済大意」「財政と金融」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

田尻稲次郎

没年:大正12.8.15(1923)
生年:嘉永3.6.29(1850.8.6)
明治大正期の官僚。父は薩摩藩(鹿児島県)京都留守居役田尻次兵衛,母は朝乃。号は北雷。節倹に努め,背広が夏冬各1着のみであったことから「きたなり先生」とあだ名されたのをもじったという。初め藩の開成所英語科に入学し海軍軍人を志望したが,のち慶応義塾,開成所,海軍操練所を経て,法律学を志し大学南校に入り直した。明治4(1871)年渡米,12年エール大学を卒業。同大学では経済学,財政学等を専攻し,のちの米国大統領タフトと交際を持ち,駐米公使吉田清成に日本の財政改革を訴える意見書を提出している。帰国後,13年1月福沢諭吉の推薦を得て大蔵省に入り大隈重信,松方正義両大蔵卿に仕えたのを皮切りに,国債・銀行・主税各局長や次官を務め,財政金融制度の創設に貢献。34年会計検査院長,大正7(1918)年東京市長などを務める。この間,専修学校(専修大学)創立に参加。帝大法科大学でも教鞭を取り,法学博士となる。明治40年子爵。<参考文献>田尻先生伝記及遺稿編纂会『北雷田尻先生伝記』

(長井純市)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

田尻稲次郎
たじりいなじろう

[生]嘉永3(1850).6. 京都
[没]1924.8.15. 東京
明治の財政学者。明治2 (1869) 年,慶應義塾に学ぶ。 1871年国法および民法研究のため渡米,1878年エール大学に学び,さらに経済財政学をも修めて 1879年帰国。大蔵省に任官するかたわら専修学校 (現専修大学 ) の創立に参加。 1881年には東京帝国大学文学部講師,1886年法学部教授を兼任。この間大蔵省国債局長,銀行局長,主税局長を務め,1891年貴族院議員,翌 1892年大蔵次官となる。 1895年男爵,1901年会計検査院長,1906年帝国学士院会員,1907年子爵,1918年貴族院勅選議員,同年東京市長。財政経済の理論と実際に通じ,また専修大学の首脳として育英事業に尽力。主著『財政と金融』 (1901) ,『銀行論』。

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