田岡典夫(読み)タオカノリオ

デジタル大辞泉 「田岡典夫」の意味・読み・例文・類語

たおか‐のりお〔たをかのりを〕【田岡典夫】

[1908~1982]小説家高知の生まれ。フランスから帰国し、俳優学校で学んだ後に作家活動に入る。郷里の土佐舞台とした時代小説で知られる。「強情いちご」およびその他作品直木賞受賞。他に「しばてんえのき文書」「小説野中兼山」「権九郎旅日記」など。

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20世紀日本人名事典 「田岡典夫」の解説

田岡 典夫
タオカ ノリオ

昭和期の小説家



生年
明治41(1908)年9月1日

没年
昭和57(1982)年4月7日

出生地
高知県土佐郡旭村

学歴〔年〕
早稲田第一高等学院中退,日本俳優学校卒

主な受賞名〔年〕
直木賞(第16回)〔昭和17年〕「強情いちご」,毎日出版文化賞(第33回)〔昭和54年〕「小説野中兼山」

経歴
早大中退後、パリで暮らし帰国して昭和6年日本俳優学校に入るという経歴を持つ。13年田中貢太郎に師事し、「博浪沙」の編集に携わり、16年「しばてん榎文書」などを発表。17年短編「強情いちご」で直木賞を受賞。戦後は、長谷川伸主宰の新鷹会に参加、「権九郎旅日記」などの作品を発表。作品の大半は郷里土佐に取材したもので、異色の時代小説家として知られた。ほかの代表作に「腹を立てた武士たち」「かげろうの館」「小説野中兼山」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田岡典夫」の解説

田岡典夫 たおか-のりお

1908-1982 昭和時代の小説家。
明治41年9月1日生まれ。第一早稲田高等学院を中退し,フランスでくらす。帰国後,尾上菊五郎主宰の俳優学校にまなぶ。昭和16年「しばてん榎文書」を発表,18年「強情いちご」で直木賞。戦後,長谷川伸の新鷹会にくわわる。54年「小説野中兼山」で毎日出版文化賞。昭和57年4月7日死去。73歳。高知県出身。作品はほかに「権九郎旅日記」など。

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