作家、直木三十五(さんじゅうご)の名を記念した大衆文学の新人賞。正式名は直木三十五賞。直木の友人であった菊池寛の発案で1935年(昭和10)芥川(あくたがわ)賞と同時に発足、今日に至る。選考委員の選考により、年2回授賞。運営には当初、文芸春秋社、1938年以降、日本文学振興会があたる。受賞作は第二次世界大戦直後の2回を除き『オール読物』に発表。川口松太郎の『鶴八(つるはち)鶴次郎』その他による第1回受賞に始まった初期には海音寺潮五郎、井伏鱒二(いぶせますじ)らの受賞もあり、候補作家に獅子文六(ししぶんろく)、久保栄(さかえ)らもあげられて、賞の素地が固められた。戦中末期から戦後にかけて一時中絶。戦後、復活以降の受賞者には源氏鶏太(げんじけいた)、新田次郎、今東光(こんとうこう)、司馬遼太郎(りょうたろう)、池波正太郎、水上勉(みずかみつとむ)、山口瞳(ひとみ)、立原正秋(まさあき)、五木寛之(ひろゆき)、野坂昭如(あきゆき)、佐藤愛子、渡辺淳一、井上ひさし、藤沢周平、佐木隆三(さきりゅうぞう)、宮尾登美子、阿刀田高(あとうだたかし)、向田邦子(むこうだくにこ)、林真理子、山田詠美(えいみ)らが相次いで活気をもたらし、ことに1980年代に入ると文学の大衆化状況に伴って、賞の対象もいっそう広がった感がある。1990年代の受賞者には、出久根達郎(でくねたつろう)(1944― )、高村薫(かおる)、大沢在昌(ありまさ)、浅田次郎、車谷長吉(くるまたにちょうきつ)、なかにし礼(1938―2020)らが、2000年代の受賞者には船戸与一(ふなどよいち)、京極夏彦らがあった。
[保昌正夫 2018年7月20日]
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文芸春秋社を主宰していた菊池寛が,旧友直木三十五を記念する意味と大衆文学の発展,新人の発掘をめざして設定した文学賞。1935年以来現在に至るまで続いている。年2回。純文学に与えられる芥川賞と並称される。第1回は川口松太郎の《風流深川唄》など一連の作が受賞した。同じ新人賞である芥川賞に比べると,直木賞のほうが文学的閲歴が考慮される。戦後は純文学と大衆文学の接近がはかられ中間小説ばやりとなったことを反映して,芥川賞,直木賞の区別が設定当初より厳密でなくなったことが指摘される。井伏鱒二,梅崎春生が直木賞の受賞作家であることなども,そのことを首肯させる。異色としては《仏教の日本的展開》の哲学者で文部省の局長を務めた佐藤得二(1899-1970)の書いた唯一の小説《女のいくさ》が第49回(1963年上期)直木賞を受賞したこともある。また《日本婦道記》に第17回(1943年上期)の授賞が決定した山本周五郎は受賞を辞退したことがある。
執筆者:長谷川 泉
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…その後,映画・演劇・婦人雑誌などを刊行したが,現在《オール読物》《文学界》が残っている。35年に芥川賞,直木賞,39年に菊池寛賞が設けられ,38年に設立された財団法人〈日本文学振興会〉が授賞事務を行っている。1937年日中戦争が勃発すると,《文芸春秋・事変増刊》を《現地報告》と改題,月刊化し(1938),《大洋》を創刊(1939),43年には満州文芸春秋社を設立するなど戦争協力の姿勢を強めた。…
※「直木賞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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