日本歴史地名大系 「田島庄・上田島庄」の解説
田島庄・上田島庄
たじまのしよう・かみたじまのしよう
「和名抄」にみえる古代の那珂郡田嶋郷を継承したとみられる庄園。現在の佐土原町上田島・下田島付近に比定される。当庄にかかわる主要文書が大光寺文書として伝来しており、
〔豊前宇佐宮領〕
宇佐大鏡によれば、寛治七年(一〇九三)国司中原章重の時に田島院司の豊前宇佐宮への寄進申請によって封民四〇人の代として立券された。起請定田は三九町で、長承年間(一一三二―三五)の目録(同書)によれば定田は三九町三反一〇代、その領域は東が那珂懸浪河の西岸の所の際、南は那珂郡の境、西は
〔伊東氏との関係〕
正和二年(一三一三)八月五日の伊東某袖判田地宛行状(大光寺文書、以下断りのない限り同文書)によれば、「上田嶋庄」内の「葦原池田一町内」の三反と屋敷一ヵ所が
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報