20世紀日本人名事典 「田村太兵衛」の解説
田村 太兵衛
タムラ タヘエ
明治期の実業家 大阪市初代市長。
- 生年
- 嘉永3年8月4日(1850年)
- 没年
- 昭和2(1927)年9月16日
- 出身地
- 大阪府
- 別名
- 別名=丸亀 太兵衛(3代目),幼名=太七,号=友松
- 経歴
- 大阪心斎橋筋の呉服商・丸亀太兵衛(田村氏)の長男に生まれ、幼名は太七。明治12年家督を相続、丸亀屋3代目当主となり、京都疏水開削事業や道路の改修、各種運動・事業を援助した。22年大阪市制施行第1回大阪市会議員、24年大阪商業会議所副会頭となる。31年大阪市長選で住友家15代目当主・吉左衛門友純と争い僅差で初代大阪市長となる。就任と同時に丸亀屋を番頭もろとも高島屋呉服店に譲渡。上水道拡張工事に着手、市立高等商業学校の創設など市政に尽力したが、34年辞任、のち大阪博物場長を務め、趣味の美術工芸品を収集した。書画・骨董の鑑識眼は周知されていて、書いた鑑定書は“太兵衛さんのお墨付き”と呼ばれて専門の古美術商の間でも幅を利かせた。また友松と号し十八会会員となるなど、茶人としても風流を好んだ。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報