紀和(読み)きわ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀和」の意味・わかりやすい解説

紀和
きわ

三重県最南端近く、南牟婁郡(みなみむろぐん)にあった旧町名紀和町(ちょう))。現在は熊野市の西部を占める地域。旧紀和町は、1955年(昭和30)入鹿(いるか)、西山(にしやま)、上川(かみかわ)の3村が合併して町制施行。町名は紀南三村の和を願って名づけられた。2005年(平成17)熊野市に合併。国道311号が通じる。西は熊野川を隔てて和歌山県に、北は北山川によって奈良県と境し、さらに東は大台ヶ原山系の支脈が延び、他地域とは隔絶された山村である。集落はわずかな平地に散在し、農業は米作が中心で、木材やシイタケを産する。丸山地区の棚田は「千枚田」とよばれ、刈り入れのシーズンには美しい景観をみせる。地域の中心である板屋(いたや)地区は、良質の銅鉱硫化鉄鉱を産する紀州鉱山で知られ、1940年(昭和15)には従業員2700人を数えたが、1978年に閉山した。熊野川・北山川流域は吉野熊野国立公園の一部で、瀞八丁(どろはっちょう)は特別名勝、天然記念物に指定されている。

[伊藤達雄]

『『紀和町史』全3巻(1991~1994・紀和町)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紀和」の意味・わかりやすい解説

紀和
きわ

三重県南部,熊野市南西部の旧町域。熊野川支流北山川左岸に位置する。 1955年上川村,入鹿村,西山村の3村が合体,町制。 2005年熊野市と合体。中心地区の板屋は江戸時代から知られた硫化鉱,銅鉱,鉛鉱の鉱山町であったが,1978年に閉山,人口が激減した。大部分が山地で,紀州材を産し,畜産業が行なわれる。赤木城跡および田平子峠刑場跡 (国指定史跡) があるほか,北山川には瀞峡北山峡景勝地があり,観光に力を入れている。瀞峡付近一帯は吉野熊野国立公園に属する。

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百科事典マイペディア 「紀和」の意味・わかりやすい解説

紀和[町]【きわ】

三重県南部,南牟婁(みなみむろ)郡の旧町。熊野川と支流の北山川左岸の山地を占め,農林業を行い,米,山菜などを産する。銅,硫化鉱の紀州鉱山は1978年閉山。瀞峡(どろきょう)がある。2005年11月熊野市へ編入。113.67km2。1783人(2003)。

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紀和 (きわ)

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