大給恒(読み)オギュウ ワタル

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大給恒」の解説

大給 恒
オギュウ ワタル


肩書
枢密顧問官,賞勲総裁

別名
幼名=乗謨(ノリタカ) 号=亀崖

生年月日
天保10年11月(1839年)

出身地
江戸

経歴
嘉永5年奥殿藩を襲封若年寄より、老中格となり、明治4年龍岡藩知事、6年式部寮賞牌取調御用掛となる。続いて、9年賞勲局設置にともない、副長官に就任。10年佐野常民博愛社創立し、副社長となる。11年賞勲局副総裁、28年総裁となり、40年伯爵を授けられる。42年枢密顧問官。賞勲の職務に忠実であらんとして、日常の交際を一切絶つという、謹言実直ぶりで知られる。

没年月日
明治43年1月6日

家族
父=松平 乗利(三河奥殿藩主)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大給恒」の意味・わかりやすい解説

大給恒
おぎゅうゆずる

[生]天保10(1839).11. 江戸
[没]1910.1.6. 東京
江戸時代末期の三河奥殿藩主,のち信濃田野口に移封。幼名乗謨。若年寄から老中格に登用され,陸軍奉行陸軍総裁となる。慶応3 (1867) 年,全国諸藩から徴税して海陸軍拡張に投入すべきことを幕閣に建白。竜岡城五陵郭を営む。幕府倒壊後は新政府に出仕し,明治2 (69) 年竜岡藩知事。 1873年式部寮御用掛。一時元老院議官となったが,78年賞勲局副総裁となり,次いで総裁となって勲章造形などに貢献した。なお,佐野常民日本赤十字社前身,博愛社を興した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大給恒」の解説

大給恒 おぎゅう-ゆずる

1839-1910 幕末-明治時代の大名,華族
天保(てんぽう)10年11月13日生まれ。松平乗利次男。嘉永(かえい)5年三河(愛知県)奥殿(おくどの)藩主松平(大給)家8代となる。文久3年信濃(しなの)(長野県)田野口(のち竜岡藩に改称)に陣屋をうつす。大番頭から若年寄となり,のち陸軍奉行,老中格,陸軍総裁をつとめる。維新後,賞勲局総裁,枢密顧問官,元老院議官などを歴任。明治10年日本赤十字社の基礎となる博愛社を創立。伯爵。明治43年1月6日死去。72歳。初名は乗謨(のりかた)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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