申在孝 (しんざいこう)
Sin Chae-hyo
生没年:1812-84
朝鮮の李朝末期,パンソリ最盛期の作家。字は百源,号は桐里。全羅道高敞の人。郷吏身分でありながら官薬房を経営していた父の跡を継いで治産につとめた。財があったため積極的にパンソリ広大(クワンデ)(芸人)を後援するとともに,従来,広大の意の赴くままに歌われていたパンソリ辞説(歌詞)を改訂推敲し,〈春香歌〉〈沈清歌〉〈パク打令〉〈兎鼈(とべつ)歌〉〈赤壁歌〉〈ピョンガンセ歌〉にまとめ上げて辞説文学を打ちたてた。また創作にも筆を染め〈カルチギ打令〉〈烏蟾歌〉〈桃李花歌〉〈広大歌〉等を残している。このうち〈広大歌〉は,広大の演唱法,パンソリの音楽的構造,過去の名唱者の歌い方を論じており,作者がパンソリを理論化しようとした意図がうかがえる。門下に金世宗,鄭春風,彩仙,許錦波ら名唱者が輩出した。彩仙は1866年,王宮の景福宮が落成したときに,大院君の前で師の作〈成造歌〉を歌って,感銘させたという。
執筆者:田中 明
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申在孝
しんざいこう
(1812―1884)
朝鮮のパンソリ作家。字(あざな)は百源、号は桐里、戸長。全羅道高敝(こうへい)生まれ。38歳ごろから広大(クワンデ)(芸人)たちの口唱芸能であるパンソリを文芸と演唱形態の両面から整理・再編し、体系化した。パンソリを唱劇に発展させたという説もある。『春香歌』『沈清歌』『興夫歌』など12編を集大成し、そのうち6編が現在に伝わる。今日のパンソリの演唱本のほとんどが彼の作品を原典にしている。
[金 両 基]
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申在孝
しんざいこう
Sin Chaehyo
[生]純祖12(1812).全羅北道
[没]李太王21(1884)
朝鮮,李朝後期のパンソリの作詞家,パンソリ研究家。字,百源。号,桐里。吏胥の家に生れ,青年時代に高敞県の戸長をつとめた。音律の研究に興味をもち,中年からは生涯をパンソリの研究と発展に捧げ,それまで唱芸人によって演唱され伝えられてきたパンソリの辞説 (歌詞) を改作,整理した。作品として『春香歌』『沈晴 (清) 歌』『瓠打令』『兎鼈歌』『赤壁歌』『横負歌』のいわゆる「申在孝六曲」などが伝わる。当時国唱と称された朴万順,李捺致,金世宗らはみな門下生であった。また『桃花歌』『広大歌』など数十編のパンソリ短歌を創作した。
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申 在孝 (しん ざいこう)
生年月日:1812年11月6日
朝鮮,李朝のパンソリ作家
1884年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の申在孝の言及
【パンソリ】より
…また愛好者が上流階級に広がるにつれパトロンができて,その指導のもとに漢詩や故事をだんだんにちりばめた上品で教訓的な要素が加わった。そうした意味での洗練整理をした人物としては,両班(ヤンバン)階級の権三得,中人階級の[申在孝]が知られている。 演者は広大(クワンデ)と呼ばれる流浪賤民の職業的芸能人であった。…
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