朝日日本歴史人物事典 「畠山満則」の解説
畠山満則
生年:応安5/文中1(1372)
室町時代の武将。父は基国。満慶とも。将軍足利義満に疎まれた兄満家に代わって,応永13(1406)年家督を相続。修理大夫,越中・河内・紀伊・能登守護となる。翌々年に義満が死去し満家が復帰すると,宗家の家督およびすべての分国守護職をこれに譲り,満家より改めて能登の守護職を与えられた。この能登守護家は匠作(修理大夫の唐名)家と称され,能登畠山家の祖となった。満家を助けて畠山家の発展に尽くし,満家が管領になると相伴衆に任ぜられた。足利義嗣が兄の将軍義持に反した際,これにくみしたとの嫌疑を受けたが処罰はされなかった。満家と同年齢で双子ともいわれる。その死にひどく落胆した兄満家もまた翌年死去した。
(石田晴男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報