百科事典マイペディア 「名手荘」の意味・わかりやすい解説
名手荘【なてのしょう】
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紀伊国那賀郡(現,和歌山県紀の川市)の荘園。もと藤原頼貞の私領であったが,所領経営に失敗し,1064年(康平7)石清水(いわしみず)八幡宮寺に寄進された。しかし石清水八幡宮寺領としても長続きせず,72年(延久4)の荘園整理によって停止された。その後1107年(嘉承2)高野山の大塔仏聖料にあてる荘園として立券され,以後中世末にいたるまで高野山領として存続した。紀ノ川の北岸に位置し,東は桛田(かせだ)荘と静川荘に,西は粉河(こかわ)荘に接する。早くから村名がみられ,中世を通じて野上村,馬宿(うまやど)村,西村,中村,江川村の5村で構成されていた。1240年(仁治1)より,西堺の水無(みなせ)川と椎尾(しいのお)山をめぐって,粉河荘丹生屋(にうのや)村との間に用水・堺相論が起こった。相論の最大の争点は,水無川からの灌漑用水の確保にあり,少なくとも1467年(応仁1)まで紛争が続いている。1250年(建長2)の官宣旨でいったん決着がつけられたが,名手荘に不利な裁許であったため,かえって井堰を破壊したり,双方が武力を行使する事態に発展し,守護代が御家人を率いて用水中分の枓(とがた)を敷設することも行われた。1432年(永享4)には寺領再建のための検注が実施されており,当時の田数は85町4段余,畠数は12町余であった。なお当荘は伊勢・大和街道にそっており,市場が早くから成立した。1290年(正応3)から翌年にかけて,荒川荘に呼応するかたちで,金毘羅次郎義方と悪八郎家基による悪党事件が起こっている。
執筆者:小山 靖憲
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