足利基氏(読み)あしかがもとうじ

精選版 日本国語大辞典 「足利基氏」の意味・読み・例文・類語

あしかが‐もとうじ【足利基氏】

南北朝時代の武将。初代関東公方。尊氏の子。上杉憲顕高師冬(こうのもろふゆ)執事として、関東における室町幕府基礎を固めた。暦応三=興国元~貞治六=正平二二年(一三四〇‐六七

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デジタル大辞泉 「足利基氏」の意味・読み・例文・類語

あしかが‐もとうじ〔‐もとうぢ〕【足利基氏】

[1340~1367]南北朝時代の武将。尊氏の子。初代の鎌倉公方くぼうとなり、東国に室町幕府の勢力を確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「足利基氏」の意味・わかりやすい解説

足利基氏
あしかがもとうじ
(1340―1367)

南北朝時代の武将。鎌倉公方(くぼう)初代。尊氏(たかうじ)の子。1349年(正平4・貞和5)足利義詮(よしあきら)にかわって鎌倉府の主となる。翌1350年尊氏と直義(ただよし)との間に観応(かんのう)の擾乱(じょうらん)が起こると、直義方の上杉憲顕(のりあき)に担がれて関東各地を転戦する。尊氏が直義を鎌倉で毒殺したあとは父尊氏に属し、直義方や南朝勢力と対峙(たいじ)し、新田義興(にったよしおき)を滅ぼすなどして東国武士の多くを結集した。さらに東国武士の信頼を失った執事畠山国清(はたけやまくにきよ)を追放し、尊氏と対立して越後(えちご)(新潟県)に逃れていた上杉憲顕を関東管領(かんれい)として迎え、憲顕の就任に反対する宇都宮氏綱(うつのみやうじつな)らを討ち、東国における鎌倉府支配の基礎を築いた。1367年4月26日、28歳で没した。

[伊藤喜良]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「足利基氏」の意味・わかりやすい解説

足利基氏
あしかがもとうじ

[生]興国1=暦応3(1340)
[没]正平22=貞治6(1367).4.26. 鎌倉
南北朝時代の武将。初代鎌倉公方 (1349~67) 。尊氏の3男 (『尊卑分脈』では次男) で,通称は鎌倉三郎。母は北条 (赤橋) 登子。室町幕府創設以来,鎌倉には尊氏の子義詮がいて,関東の経営にあたっていたが,尊氏とその弟直義との抗争が起ったため,正平4=貞和5 (1349) 年,尊氏の命令で義詮は京都に上り,代って基氏が鎌倉に下された。執事上杉憲顕と高師冬の補佐を受け,正平6=観応2 (51) 年判始,翌年元服左馬頭となる。正平 14=延文4 (59) 年左兵衛督,正平 19=貞治3 (64) 年従三位。この間,正平 13=延文3 (1358) 年南朝方新田義興を滅ぼし,正平 16=康安1 (61) 年には,専横化した家臣畠山国清を伊豆に攻めて,翌年これを下した。正平 18=貞治2 (63) 年には,信頼する上杉憲顕を迎えて関東管領とし,次いで下野の名族宇都宮氏綱を討つなど,関東平定に力を注ぎ,鎌倉府の基礎を固めた。以後鎌倉府の首長は,基氏の子孫が世襲。遺命により鎌倉の瑞泉寺に葬る。法号は瑞泉寺玉厳道 昕。

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改訂新版 世界大百科事典 「足利基氏」の意味・わかりやすい解説

足利基氏 (あしかがもとうじ)
生没年:1340-67(興国1・暦応3-正平22・貞治6)

南北朝時代の武将。足利尊氏の子。1349年(正平4・貞和5)兄義詮に代わって鎌倉の主となり,初代の鎌倉公方(くぼう)となる。養父直義の政治的影響を強く受ける。52年(正平7・文和1)鎌倉で元服。翌年以降武蔵入間川に在陣し,その間に関東における南朝勢力の中心たる新田義興を多摩川矢口ノ渡しで謀殺した。また61年(正平16・康安1)専横を極めた関東管領畠山国清を伊豆に追放し,その後信望のあつい上杉憲顕を再び関東管領に迎え入れて鎌倉府体制の基礎を固めた。基氏は,禅僧義堂周信に帰依し修養につとめたことも著名である。
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百科事典マイペディア 「足利基氏」の意味・わかりやすい解説

足利基氏【あしかがもとうじ】

南北朝時代の武将。初代鎌倉公方。父尊氏の関東重視政策により,兄義詮(よしあきら)に代わって1349年鎌倉府の主(鎌倉公方)となった。畠山国清(くにきよ)や上杉憲顕(のりあき)らを執事とし,南朝方の新田義興を謀殺するなど関東を平定し,京都の将軍義詮を助けて19年間在職,室町幕府の関東での基礎を築いた。
→関連項目関東管領公方高師冬

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朝日日本歴史人物事典 「足利基氏」の解説

足利基氏

没年:貞治6/正平22.4.26(1367.5.25)
生年:暦応3/興国1(1340)
南北朝時代の武将。鎌倉公方。足利尊氏と赤橋登子の子,義詮 の弟。左馬頭,左兵衛督。貞和5/正平4(1349)年に10歳で鎌倉に赴き公方となる。父尊氏は,観応の擾乱を経て,文和1/正平7年鎌倉に在駐し翌年京に戻ったが,基氏は武蔵入間川に布陣して反対勢力の一掃に努めた。その後鎌倉に帰り,康安1/正平16年には執事の畠山国清を追放して自ら政権を掌握,貞治2/正平18年上杉憲顕を関東管領に任命して,上杉氏の支持のもとで関東を支配する体制をつくり上げた。貞治6/正平22年に28歳の若さで病死するが,鎌倉府の関東支配の基礎は基氏の代に築かれたといえよう。義堂周信らと交わって禅に通じ,笙をよくする文化人でもあった。

(山田邦明)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「足利基氏」の解説

足利基氏
あしかがもとうじ

1340~67.4.26

初代鎌倉公方(くぼう)。尊氏の四男,母は赤橋登子。法名瑞泉寺玉岩道昕。従三位左兵衛督。1349年(貞和5・正平4)兄義詮(よしあきら)の上洛により鎌倉へ下向,高師冬(こうのもろふゆ)と上杉憲顕を執事とする。のち憲顕は南朝方に呼応,基氏は尊氏とともに,これを武蔵野合戦で破った。53年(文和2・正平8)上洛した尊氏の命で,南朝方新田義興を牽制するため,執事畠山国清とともに武蔵国入間川に布陣。6年間の在陣で義興の謀殺をはたし関東平定を進める。61年(康安元・正平16)関東諸将の支持を失った国清を追討,63年(貞治2・正平18)憲顕を関東管領に復帰させ,鎌倉府による関東支配体制の確立に尽力。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「足利基氏」の解説

足利基氏 あしかが-もとうじ

1340-1367 南北朝時代の武将。
暦応(りゃくおう)3=興国元年生まれ。足利尊氏の子。足利直義(ただよし)の養子。母は北条登子(とうし)。貞和(じょうわ)5=正平(しょうへい)4年10歳で初代鎌倉公方(くぼう)となり,延文3=正平13年南朝方の新田義興(よしおき)をやぶる。専横をきわめた執事畠山国清を追放して上杉憲顕(のりあき)を関東管領(かんれい)に復帰させ,関東10ヵ国における鎌倉府支配体制の基礎をかためた。貞治(じょうじ)6=正平22年4月26日死去。28歳。幼名は亀若丸。通称は瑞泉寺殿。

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旺文社日本史事典 三訂版 「足利基氏」の解説

足利基氏
あしかがもとうじ

1340〜67
室町前期の初代鎌倉公方
尊氏の子。1349年尊氏の命で兄義詮 (よしあきら) に代わって鎌倉に下向。宗良 (むねよし) 親王,新田義貞の子義興 (よしおき) らと戦い,義興を滅ぼし,上杉憲顕 (のりあき) を執事に迎え,室町幕府の関東における勢力を固めた。

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世界大百科事典(旧版)内の足利基氏の言及

【鎌倉公方】より

…室町幕府による東国支配のために鎌倉に置かれた政庁である鎌倉府の長官。関東公方(くぼう)ともいう。足利氏の東国支配は,1333年(元弘3)12月建武政権下で足利直義が〈関東十ヵ国〉(相模,武蔵,上野,下野,上総,下総,安房,常陸,伊豆,甲斐)の支配をゆだねられ後醍醐天皇の皇子成良親王を奉じて鎌倉に入ったことにはじまる(鎌倉将軍府)。足利尊氏は,36年(延元1∥建武3)11月京都に幕府を開いたが,その嫡子義詮を鎌倉にとどめ,これを〈鎌倉御所(鎌倉公方)〉とし,そのもとに関東管領を配置して東国の政治一般にあたらせた。…

【下野国】より

…宇都宮氏綱は芳賀禅可(はがぜんか)(高名)とともに尊氏方に属して翌51年駿州薩埵山の戦で活躍し,賞として上野,越後の守護職に補任され,芳賀高名の子高家・高貞が越後守護代となった。ところが63年(正平18∥貞治2)鎌倉公方足利基氏の力添えで上杉憲顕が関東管領・越後守護に復帰し,氏綱は武力で阻止しようとして敗れ,68年(正平23∥応安1)武蔵の平一揆(川越,江戸,豊島氏等)と結んで再度兵を挙げた。基氏は氏綱討伐の軍を派遣して宇都宮城を攻落した。…

※「足利基氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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