白崎村(読み)しらさきむら

日本歴史地名大系 「白崎村」の解説

白崎村
しらさきむら

[現在地名]武生市白崎町

府中町の西南春日野かすがの谷口にある。「足羽社記略」は白崎はもと白坂であり、継体天皇の皇女白坂活日姫の御名代か、としているが疑わしい。慶長三年(一五九八)九月の越前府中郡在々高目録に村名がみえ、高九三〇・四一石、先高七六三石余・出分一六七石余が記される。貞享三年(一六八六)福井藩領より幕府領。宝暦八年(一七五八)越前に所領三千石を得た旗本金森氏領になり、当村にその居館が設けられた。


白崎村
しろさきむら

[現在地名]南淡町灘白崎なだしろさき

諭鶴羽ゆづるは山系南東へ下る稜線を境に南は黒岩くろいわ村。天正一四年(一五八六)一一月三日の淡路国御蔵入目録にみえる「なだ」一〇三石六斗のうちに含まれ、正保国絵図下灘しもなだ一二ヵ村の一として村名がみえる。同絵図によると、山間を牛馬が通れる二里余の間道上中原うえなかばら(現三原町)を経て社家しやけ(現同上)へ続く。享保元年(一七一六)の両国郷村高辻帳(蜂須賀家文書)では高八石余。


白崎村
しろさきむら

[現在地名]川村白川しらかわ 白崎

集落の西に阿賀野川があり、南の谷沢やざわ村から北の河口かわぐち村に流れる。

東は大牧おおまき(現津川町)の山。文禄三年(一五九四)七月の蒲生氏高目録帳(内閣文庫蔵)に「白崎 四十五石五斗一升」とあり、給人は平左。元和六年(一六二〇)の漆木役は一五〇本九分(津川旧記)。元禄郷帳では五七石一斗余。「新編会津風土記」によれば家数三五、赤土がとれ壁塗りによいとある。寛永一五年(一六三八)小川庄山役之覚(津川旧記)に「七匁 下条組 白崎村」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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