日本歴史地名大系 「百々城跡」の解説 百々城跡どうどうじようあと 宮城県:遠田郡田尻町大沢村百々城跡[現在地名]田尻町大沢 百々篦岳(ののだけ)丘陵の南縁、南方へ派生する小丘陵突端に位置。最高点約四〇メートル。かつて西・南には百々沼があり、外堀の役目を果した。規模東西二三〇メートル、南北三〇〇メートル。鶴館(つるだて)(城)ともよばれる。由来は築城のとき鶴を埋め鎮護の神としたこと、また城郭の形が鶴に似ていることによると伝える。丘陵上には大小の平場が残り、斜面には二、三段の段築がみられるが破壊されたところも多い。 百々城跡どうどじようあと 愛知県:岡崎市百々村百々城跡[現在地名]岡崎市百々町足助(あすけ)街道に沿う百々の字池(いけ)ノ入の七所(いりのしちしよ)神社東に青山(あおやま)塚があり、丘陵が南の九品(くぼん)院まで続き、矢作川流域を俯瞰できる。「青山府君碑」に「明和七年庚寅春三月、丹羽篠山城主下野守従五位下藤原朝臣忠高建」と記す。この青山塚の北に石垣・築地・掘割が断続して今も残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by