目黒村(読み)めぐろむら

日本歴史地名大系 「目黒村」の解説

目黒村
めぐろむら

[現在地名]松野町目黒

四万十(しまんと)川の支流目黒川に沿う山村。北は樫谷(かしだに)村に接する。

当村は四国山地の西南部にあり、樫谷村との境界にさかり山(六七三メートル)があり、その東南麓の地蔵(じぞう)峠には関所が設けられていた。土佐藩領との境界には山々が続き、その山系が滑床(なめとこ)渓谷周辺の飯盛(めしもり)山(七二六メートル)・郭公(かつこう)岳(一〇一〇メートル)へと続いている。かぐいの森・こやが森・鬼が城には吉田藩主の鷹小屋があり、猟場として知られていた。かぐいの森の北の大杉(おおすぎ)峠には土佐藩領への道があった。また当村は古来杉と檜の良材の産地として知られ、現在は広い国有林がある。

慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「目黒村 深山之内谷深キ所、小川有」と村名がみえる。吉田藩領。太閤検地の石高は七〇五石八斗で、正保検地では八二五石六斗三升二合となっている。


目黒村
めぐろむら

[現在地名]岡山市目黒町

大多羅(おおだら)村の北、芥子(けしご)山西麓にある。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の東可知(ひがしかち)郷に村名があり、寛永備前国絵図では高三九五石余。正保郷帳には水損中と注記がある。「備陽記」では田畠二四町三反余、家数五六・人数三七五、岡山城下京橋(きようばし)まで道程二里、船路では倉安川(くらやすがわ)通二里半、平太船一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む