日本歴史地名大系 「樫谷村」の解説
樫谷村
かしだにむら
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の宇和郡の項に「樫谷村 深山続キ柴山有」と村名がみえる。「墅截」、宝永三年(一七〇六)の「大成郡録」によると、当村は
太閤検地の石高は七九七石四斗四升で、耕地面積の比率は田七七パーセント、畑二三パーセント。寛文検地では石高が二〇パーセントも減少し、田七五パーセント、畑二五パーセントとなっている。「墅截」によると村柄は「中」、田畑はともに「下」とされ、水掛りは「吉」となっている。鬮持制実施期の本百姓一人前の耕地は田八反、畑一反四畝二一歩で、百姓数は六五人、うち本百姓四二人、半百姓一六人、四半百姓六人、庄屋一人であった。
樫谷村
かしだにむら
樫谷村
かしのたにむら
樫谷村
かしだにむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報