真砂村(読み)まなごむら

日本歴史地名大系 「真砂村」の解説

真砂村
まなごむら

[現在地名]山中町真砂町

大日だいにち(一三六八メートル)源流とする大聖寺だいしようじ川の最上流部にあり、集落は標高約四〇〇メートルの河谷に位置する。江沼郡最南端の村で、越前勝山かつやま(現福井県勝山市)へは岩屋いわや越で数キロにすぎない。村は越前越知おち山麓の田倉助兵衛が移住して開いたと伝える憩紀聞。「加賀志徴」には村に残る永禄二年(一五五九)八月一〇日付の朝倉義景奉行衆が越前国鞍谷轆轤中に宛てた連署状や、天正八年(一五八〇)一一月一六日付の下知状などを載せる。


真砂村
まなごむら

[現在地名]龍野市揖保町真砂いぼちようまなご

萩原はいばら村の東に位置し、村の南部で揖保川林田はやしだ川が合流する。揖西いつさい郡に属し、東は林田川を挟んで揖東いつとう岩見構いわみかまえ(現太子町)、南は上川原かみがわら(現姫路市)中島なかしま(現御津町)市場いちば(現揖保川町)。慶長一二年(一六〇七)池田輝政家臣地方知行状(鳥取県立博物館蔵)に真砂村とみえ、森次右衛門は当村の三〇一石余など都合七〇〇石を宛行われている。


真砂村
まなごむら

[現在地名]中辺路町真砂

北はしば村、南は北郡ほくそぎ村、東は石船いしぶり村、西は西谷にしだに村。中央を富田とんだ川が南流し、川沿いに走る熊野街道中辺路沿いに集落がある。「続風土記」に「田畠に川原石尤多し、真砂の名は其川原の石より起れるなるへし」と記される。建仁元年(一二〇一)の「後鳥羽院熊野御幸記」一〇月二二日条に「払暁出近露下滝尻、マナコ小家昼養了」とみえ、「民経記」寛喜元年(一二二九)一一月八日条に「近露昼養着真奈古」とあり、藤原頼資一行の宿泊地であった。


真砂村
まさごむら

[現在地名]茨木市真砂一―三丁目・新和しんわ町・小柳こやなぎ町・玉櫛たまくし一―二丁目・水尾みずお三丁目・若園わかその

水尾村の南にあり、「まなご」ともいった(摂津志)。元禄郷帳に「水尾真砂村」とあり、江戸時代中頃まで水尾村の小村であった(→水尾村。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図に村名がみえる。水尾村から分村後の真砂村は延享三年(一七四六)に三卿の田安領となって幕末に至った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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