矢板武(読み)ヤイタ タケシ

20世紀日本人名事典 「矢板武」の解説

矢板 武
ヤイタ タケシ

明治・大正期の実業家 下野新聞社社長;栃木県議。



生年
嘉永2年11月14日(1849年)

没年
大正11(1922)年3月22日

出生地
下野国塩谷郡矢板村(栃木県矢板市)

旧姓(旧名)
坂巻

別名
前名=武兵衛

経歴
幕末期に組頭を務め、維新後は村名主・戸長・小区民会議員・塩谷初期などを歴任。明治12年産馬協同会社副社長となって馬格改良をはかる。13年印南丈吉らと共に那須開墾社を設立して幹事となり、様式農具を用いて那須西原を開墾。また18年には印南らと協力して那須疎水開削を完成させた。印南の死後、那須開墾社社長に就任するが、26年の同社解散後は個人事業家として矢板農場を経営した。一方、下野銀行・矢板信用銀行・矢板銀行・氏家銀行の創立に参画するなど実業界でも活躍し、30年には栃木県議に選ばれた。大正元年下野新聞社社長に就任。また、保晃会を作って日光山社寺の保存にも力を尽くした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 旧姓

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢板武」の解説

矢板武 やいた-たけし

1849-1922 明治-大正時代開拓者,実業家。
嘉永(かえい)2年11月14日生まれ。明治13年印南丈作(いんなみ-じょうさく)と那須開墾社を組織し,栃木県那須野ケ原の開拓,那須疏水の開削につくす。30年栃木県会議員。下野(しもつけ)銀行,矢板農場などを創立し,また下野新聞社長をつとめた。大正11年3月22日死去。74歳。下野(栃木県)出身。前名は坂巻武兵衛。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む