矢野城跡(読み)やのじようあと

日本歴史地名大系 「矢野城跡」の解説

矢野城跡
やのじようあと

[現在地名]安芸区矢野町

矢野町南方の絵下えげ山から北に延びる稜線上にあり、別名保木ほつき城。県指定史跡。築城年代は明らかでないが、建武二年(一三三五)足利尊氏に呼応して挙兵した安芸の武田信武が、国内の武士を率いて上洛しようとした際、三入みいり(現安佐北区)の熊谷氏の一族で南朝方にくみした熊谷蓮覚は、矢野城に拠ってこれを阻止しようとした。このため同年一二月二三日から合戦となり、二六日には落城したことが建武三年五月一〇日付の吉川経朝軍忠状(吉川家文書)などにみえる。

矢野城跡
やのじようあと

[現在地名]徳島市国府町西矢野

西方から突出した山尾根の先端に位置した山城。麓からの比高は二八メートルと低い。戦国時代に矢野駿河守国村が居城したといわれる(古城諸将記・城跡記)。天正五年(一五七七)細川真之方に属した一宮いちのみや城城主一宮長門守成祐が、勝瑞しようずい(現藍住町)城主三好長治(長春)長原ながはら(現松茂町)に追いつめて自殺させたとき、矢野国村は讃岐虎丸とらまる(現香川県大内町)を守備していたが急ぎ阿波に帰り、森飛騨守・篠原自遁・三好越後守らとともに三好方の態勢を立直すために活躍したという。まず伊沢越前守頼俊を板西ばんざい(現板野町)に攻め滅ぼし(三好記・昔阿波物語)勝瑞城の守備を固くする一方、淡路勢や紀州雑賀衆をよび、一宮城を攻め落したといわれる(三好記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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