石和八幡神社(読み)いさわはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「石和八幡神社」の解説

石和八幡神社
いさわはちまんじんじや

[現在地名]石和町市部

市部いちべ集落の北西にある。宗教法人名は八幡神社。祭神は天足彦国押人命・日売大神・稚城瓊入彦命。旧村社。「社記」によれば、成務天皇五年に物部もののべ神社の社号を賜ったという。朝廷からの尊崇も厚く、国家の危機に際し度度祈祷勅使が下ったとされ、延暦一六年(七九七)七月九日の諸国安寧祈祷、天長九年(八三二)七月一〇日の祈風雨、承和三年(八三六)・同五年の七月一一日の攘災祈祷・祈豊稔、承和一五年六月一日の祈雨、貞観六年(八六四)七月二〇日の祈豊熟などが行われたとされている。しかし武田氏の氏神となり歴代国主が尊崇するにあたり、源氏の氏神八幡信仰のほうが顕著となり、物部神社の名はそれに隠れて忘れられてしまったという。また「甲斐国志」によると、当社は国衙こくが八幡宮ともよばれており、国主からの信仰は平安期以来のものであったとされる。この国衙八幡宮については、嘉慶元年(一三八七)二月一三日の留守所補任状(大善寺文書)で国衙八幡宮経田公文職が柏尾山大善だいぜん(現勝沼町)に与えられているが、詳細は不明。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報