市部村(読み)いちべむら

日本歴史地名大系 「市部村」の解説

市部村
いちべむら

[現在地名]石和町市部

笛吹川鵜飼うかい川に挟まれた平坦地にある。西は笛吹川を隔てて川田かわだ(現甲府市)、南は窪中島くぼなかじま村、東は鵜飼川を隔てて下平井しもひらい村、北は八田はつた村。甲州道中が通り、村の東端の遠妙おんみよう寺前で同道中から鎌倉街道が分岐する交通の要衝。中世は石和御厨・石和村などともよばれ、その中心を占めていたと考えられる。近世も甲州道中石和宿として賑わい、石和代官所が置かれた。郷帳類には市部村と記載されるが、「甲斐国志」は石和宿と記す。枝村として菊島きくがしま下市場しもいちばがある(同書)。市部の地名はかつて市が開設されていたことによるという。その後中絶していた市は元禄一五年(一七〇二)代官平岡次郎右衛門が幕府に願出て一時復活したが、宝永二年(一七〇五)廃絶している(享保九年「村明細帳」後藤博昭家文書)

〔中世〕

天正一〇年(一五八二)六月一七日の徳川家印判状写(御庫本古文書纂)に市部とみえ、のちに八王子千人同心頭になった窪田助之丞正勝に市部内一貫文の地などが本領として安堵されている。同年一二月九日には同地が再度安堵されている(「徳川家印判状写」同古文書纂)。また岩間善九郎正明が同年九月一九日に安堵された本領一二七貫文余のうち市部内で五〇貫五〇〇文、当地の仏陀ぶつだ寺内で二五貫文が安堵されており、大半を当地内で占めている(「徳川家印判状写」記録御用所本古文書)。河野但馬守通重は同年一二月一二日に市部内五貫文の地などを与えられた(「徳川家印判状写」同古文書)。寺院では一蓮いちれん(現甲府市)が一八貫文の地を安堵されているほか(天正一一年四月一九日「徳川家康判物写」寺記)、末寺分として当所にあった玉泉寺四貫九〇〇文・等生院免三貫三〇〇文を認められている(同一〇年六月二六日「徳川家寺領書立」一蓮寺文書)


市部村
いちぶむら

[現在地名]富山町市部

久枝くし村の東に位置し、北西を岩井いわい川が流れる。壱部・一部とも記した(正保郷帳・天保郷帳)房総往還が通り、人馬の継立を行っていた。慶長二年(一五九七)安房国検地高目録に村名がみえ、高四一六石余、うち田方二八二石余。里見氏給人領。元和元年(一六一五)から寛文八年(一六六八)勝山藩領となるまでの領主の変遷は久枝村に同じ。以後も同藩領として幕末に至る(元文村高帳・旧高旧領取調帳など)正保郷帳では田高二八七石余・畑高一三四石余。万治二年(一六五九)の佐倉藩勝山領取箇帳(吉野家文書)によると、先高四二二石余、うち一五石余は無地高、一九石余は池代、ほかに永荒・川欠が三石余、屋敷成・道成・茶園畑成が一四石余あって残高三六九石余。


市部村
いちべむら

[現在地名]藤枝市本町ほんまち二―四丁目・大手おおて二丁目・天王町てんのうちよう一―三丁目・藤岡ふじおか一丁目

東海道藤枝宿の北東に位置し、志太しだ郡に属する。村の一部は白子しろこ町・下伝馬しもでんま町・左車さぐるま町を構成し、西は五十海いかるみ村。応永九年(一四〇二)六月六日の管領畠山基国奉書(美吉文書)に市部郷とみえる(→益頭庄。戦国期には一部が今川氏の直轄領となっており、弘治三年(一五五七)一一月二〇日の今川義元朱印状写(今川家瀬名家記)などによると、当地に知行地をもつ平野輝以・鍋松親子が代官を勤めていた。


市部村
いちべむら

[現在地名]上野市市部

依那具いなぐ村の南。西の長田ながた(木津川)流域の微高地で東は丘陵地。集落の西を伊勢への道が通る。川原田の上古河かわらだのかみふるかわ森前の下古川もりまえのしもふるかわという地名は旧河道にかかわり、自然堤防が残る。沢田さわだのぬか塚古墳は円墳で円筒埴輪片を出土し、森脇もりわき遺跡では約四〇〇メートル四方に弥生時代の集落跡が推定され、奥山おくやまには窯跡がある。文永一二年(一二七五)二月一九日に奈良春日神社参拝の「伊賀国一部郷住人」が「若宮拝殿手水桶辺」で小便をし清祓の祭物として小袖直垂と帷子を納めて処罰を免除された(春日社記録)という「一部郷」は当村のことであろう。

延宝六年(一六七八)内検を改め、本高六一二・一石、平高一二一二・八二石で、うち給地は野崎新平ほか二名で四九五石余。


市部村
いちべむら

[現在地名]氷上町市辺いちべ

西縁を佐治さじ(加古川)が流れ、東はきり山、南は氷間下ひまが村。地元では「いちぶ」ともいう。慶長年間(一五九六―一六一五)初期の村切により同村より分立したという(生郷村志)。慶長三年織田信包(柏原藩)領となる。正保郷帳に村名がみえ田高一七二石余・畠高二九石余、林あり、日損少しあり。柏原藩領。慶安三年(一六五〇)幕府領となり、天和二年(一六八二)から旗本本多領(「寛政重修諸家譜」など)。国立史料館本元禄郷帳でも同領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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