物部神社(読み)もののべじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「物部神社」の意味・読み・例文・類語

もののべ‐じんじゃ【物部神社】

[一] 新潟県柏崎市西山町二田にある神社。旧県社。祭神は二田天物部命(ふただあまもののべのみこと)ほか二柱。崇神天皇の時代に祭神の子孫、物部稚桜(わかざくら)命が奉斎したと伝えられる。二田大明神。
[二] 新潟県佐渡市小倉にある神社。旧県社。祭神は宇麻志麻治命(うましまじのみこと)。天平年間(七二九‐七四九物部氏の子孫が祖先を奉斎したのにはじまると伝えられる。
[三] 島根県大田市川合町にある神社。旧国幣小社。祭神は宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)。継体天皇八年、勅によって創建。物部氏の始祖でこの地方を平定し八百山に葬られた命を奉斎。各地の物部神社の宗社。石見国一の宮。

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デジタル大辞泉 「物部神社」の意味・読み・例文・類語

もののべ‐じんじゃ【物部神社】

島根県大田市にある神社。祭神は物部氏の祖とされる宇摩志麻遅命うましまじのみこと石見いわみ一の宮

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日本歴史地名大系 「物部神社」の解説

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]大田市川合町川合

八百やお山麓に鎮座する。旧国幣小社。祭神は宇摩志麻遅命で、天照大御神・天御中主大神・饒速日命・布都霊神を配祀する。石見国一宮として、また武神として崇敬された。「延喜式」神名帳に載る安濃あの郡物部神社が当社に比定される。創建は継体天皇八年と伝える。貞観一一年(八六九)三月二二日正五位下に叙され、同一七年一〇月一〇日に正五位上、元慶三年(八七九)九月四日には従四位下に叙された(三代実録)。さらに天慶四年(九四一)一一月一九日には従四位上に叙されている(日本紀略)

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]西山町二田 入の沢

二田ふただ集落の中央字入の沢いりのさわにある。祭神は二田天之物部命、物部稚桜命・健御名方命を合祀する。旧県社。「延喜式」神名帳の三島郡六座のうちに「物部モノノヘノ神社」とある。社伝によると、社地は数回移動している。崇神天皇三三年に石地いしじから大崎おおさき、推古天皇一一年中宮平ちゆうぐうだいら、神亀三年(七二六)土生田山はにうだやま、弘仁八年(八一七)上宮平じようぐうだいら(現字上後)、天仁元年(一一〇八)亀岡山かめおかやま(現社地)と伝える。さらに延暦一四年(七九五)坂上田村麻呂の祈念があり、三島郡一円を神領と定めたという。大永六年(一五二六)足利義晴より三島郡のうち三千五〇〇貫の神領を受けたが、天正年間(一五七三―九二)に神領は没収。

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]久居市新家町 西林

雲出くもず川左岸の低平な水田地帯の中での微高地に位置する。新家にのみ村の鎮守神で、俗に「天王さん」とよばれ、江戸時代に集落が水害を避けて台地上へ移った後もそのまま原位置にとどまっており、その社叢は水田地帯の中で目立った森となっている。旧村社。祭神は物部氏の祖である宇麻志麻遅命となっているが、これは当社を式内社に格付してもらうために近世になってから勧請したものと思われ、「五鈴遺響」には「祭神不詳」と記している。しかし当社を「延喜式」神名帳の「物部神社」に比定しようとする説は、江戸時代以来相当に有力で、度会延経以下多くの学者がこの説を採っている。

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]石和町松本

平等びようどう川の右岸、大蔵経寺だいぞうきようじ(七一五・六メートル)の南麓にある。十社明神ともいい、物部氏の祖一〇神を祀ったことに由来するという(甲斐国志・社記)。もとは御室おむろ山山頂にあったが、その後現在地へ遷座した。物部神社は貞観五年(八六三)六月八日従五位下から従五位上となり、同八年三月二八日に正五位下、同年閏三月一八日に従四位下、同一八年七月一一日に従四位上、元慶四年(八八〇)二月八日には正四位下となっており(三代実録)、さらに天慶三年(九四〇)九月四日には従三位に昇叙されている(日本紀略)

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]畑野町小倉

小倉おぐらみや河内かわちにある。宮ノ河内からは東方大地おおち(六四五・八メートル)の北側を回って岩首いわくび(現両津市)へ通じる道がある。旧県社。「佐渡国寺社境内案内帳」では、祭神は宇麻志麻治命で、饒速日命の子とする。「延喜式」神名帳の雑太さわた郡五座のうちに「物部モノノヘノ神社」とある社とされるが、地元では当社を住吉社とよぶ者が少なくない。「続日本紀」延暦一〇年(七九一)九月六日条に「佐渡国物部天神」を従五位に叙したとみえる。

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]高岡市東海老坂

旧村社。「延喜式」神名帳に載る射水郡の同名社に比定される。「越中国式内等旧社記」は祭神を物部氏の祖神饒速日命とし、海老坂えびさか八幡宮と称するとある。ただし今は宇摩志麻遅命と応神天皇とする。大彦命の北陸道鎮圧の際に従って下向し、大彦命帰京後もこの地にとどまった物部氏がその祖神を祀った社という。以前は烏帽子えぼし山にあったが、往古はさらに氷見ひみ境に近い奥山にあったという(守山町誌)。五社等之由来書(加越能寺社由来)によれば、海老坂八幡宮が金沢卯辰うたつ山へ勧請されて卯辰山八幡宮となり、前田利家霊を合祀して金沢城の鎮守となり、明治以後は金沢市内へ遷座されて尾山おやま神社となった。

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]北茂安町大字中津隈字板部

板部いたべ村の中部に鎮座する。祭神は物部経津主神。

肥前風土記物部郷に「此郷之中 有神社、名曰物部経津主もののべのふつぬし之神」とあって、推古天皇の一〇年、新羅征討のため来目皇子が筑紫に至った時、物部若宮部を遣わしてこの村に社を建てたとされる。

だが、享和元年(一八〇一)の三根郡西島郷坊所郷図には社名がみえず、「太宰管内志」も「此神ノ社今は詳ならず」としている。しかし、明治四年(一八七一)神社調差出にあたり、中津隈の宝満ほうまん宮祠官岡氏は兼勤の物部神社についての由緒を付して差し出している。

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]野田川町字石川 物部

「延喜式」神名帳にみえる式内社。近世には小字姫路谷ひめじだに神宮じんぐう普門ふもん院が別当寺であった。祭神は宇麻志麻治命。旧村社。

物部氏勢力の丹後地方定着の地である物部郷に祀られたと考えられる。祭神は一説に饒速日命とも、蘇我石川宿禰ともいう。饒速日と宇麻志麻治はともに物部氏の祖神とされている。蘇我石川宿禰は稲目・馬子らの先祖にあたる。

丹後国御檀家帳の「石川のもののゑ」に載せる講親小谷八郎右衛門はこの神社に深い関係をもつ家であった(石川村誌)

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]真正町上真桑 本郷

もとは字四指よさすに鎮座していたので四指宮と称し、別に藤の宮とも称した。旧郷社。美濃国神名帳所載の従五位上物部明神に比定され、古代美濃国の有力氏族であった物部氏が本巣郡物部郷(和名抄)に祀った社と推定されている。祭神は物部古千根。「新撰美濃志」は上真桑かみまくわ村の産土神で祭神は弓削守屋大連とする。延宝五年(一六七七)の上真桑村検地帳(小川文書)に四指明神宮地三畝一五歩とあり、宝暦一〇年(一七六〇)の上真桑村明細帳(同文書)によれば宮寺は法英ほうえい寺。第二次世界大戦後の耕地整理で、東方に鎮座していた八幡神社に移し、社名を物部神社と改称

物部神社
もののべじんじや

[現在地名]東区石神本町一丁目

俗に石神いしがみ堂と称し、さくら赤萩あかはぎ交差点の東北に一群の樹叢をなしている。江戸時代には古井こい(現千種区・東区)の内で名古屋新田に属し、境内東西二四間・南北八間は除地であった(徇行記、金鱗九十九之塵)。「延喜式」神名帳愛智郡の物部神社、尾張国神名帳にみえる「従三位上 物部天神」をこの社にあてる説(府志、尾張志)が有力である。物部氏の祖宇摩志麻治命を祭神とするが、神体は一個の大石で、社伝に神武天皇のとき当国の賊を討ち、石をもって国の鎮めとしたとあり、俗に要石という。

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改訂新版 世界大百科事典 「物部神社」の意味・わかりやすい解説

物部神社 (もののべじんじゃ)

島根県大田市川合町に鎮座。宇摩志麻遅(うましまじ)命をまつる。宇摩志麻遅命は物部氏の祖とされ,社伝によれば,神武天皇が大和に入ってのち,その詔をうけて播磨,丹波等を経て石見国を平定,この地でなくなり八百山に葬られたが,継体天皇のときその墓前に社殿を造営したのが当社の創建と伝える。神階は869年(貞観11)正五位下,941年(天慶4)従四位上,延喜の制で小社。のち石見国一宮とされ,中世には毛利氏の保護をうけ,近世は朱印領300石。旧国幣小社。例祭10月9日,ほかに奉射(ぶしや)祭(1月7日),小豆御贄祭(1月15日),田面(たのも)祭(9月1日)など特殊神事が多い。社家金子氏は物部氏の子孫で,代々国造と称されてきた。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「物部神社」の意味・わかりやすい解説

物部神社
もののべじんじゃ

島根県大田(おおだ)市川合町に鎮座。宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)を祀(まつ)る。宇摩志麻遅命は饒速日命(にぎはやひのみこと)の子で物部氏の祖。神武(じんむ)天皇の詔(みことのり)を受けて、播磨(はりま)を経て石見(いわみ)に至り、その地を平定ののち守護にあたり、当地で薨(こう)じ、のち継体(けいたい)天皇のとき、子孫が社殿を造営したのが本社の創建と伝承する。941年(天慶4)従(じゅ)四位上、『延喜式(えんぎしき)』で小社、のち石見国一宮(いちのみや)とされ、中世には武将の保護を受け、近世江戸幕府より朱印領300石を受けた。明治の制で国幣小社。例祭10月9日。ほかに1月15日の小豆御贄(あずきみにえ)神事など特殊神事が多い。

[鎌田純一]


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百科事典マイペディア 「物部神社」の意味・わかりやすい解説

物部神社【もののべじんじゃ】

島根県大田市川合町に鎮座。旧国幣小社。宇麻志摩遅(うましまじ)命をまつる。祭神は物部氏の祖神。6世紀の創建と伝える。延喜式内社とされ,石見(いわみ)国の一宮。例祭は10月9日。ほかに奉射祭(1月7日),鎮魂祭(11月24日)などがある。

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デジタル大辞泉プラス 「物部神社」の解説

物部神社

島根県大田市にある神社。延喜式内社。主祭神、宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)は物部氏の祖とされる。石見国一宮。本殿裏手には、古くは神体として崇められた八百山がある。

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世界大百科事典(旧版)内の物部神社の言及

【鎮火祭】より

…同社の鎮火祭は,祭場を庭上に設け,鎮火の儀は,庭上の火の上るのを待って,川菜を投じ,水をそそぎ,土をもって火を埋める。このほか,祭儀の方法は異なるが,青森県の岩木山(いわきやま)神社,大阪市の生国魂(いくくにたま)神社,島根県の物部(もののべ)神社,東京都台東区の秋葉神社などでも行われる。【沼部 春友】。…

【鎮魂祭】より

…もと宮内庁で行われたが,現在は宮中三殿内の綾綺殿(りようきでん)で行う。宮中のほか,奈良県の石上(いそのかみ)神宮,新潟県の弥彦神社,島根県の物部神社などでも,鎮魂祭が行われている。【沼部 春友】。…

※「物部神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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