石室善玖(読み)セキシツゼンキュウ

デジタル大辞泉 「石室善玖」の意味・読み・例文・類語

せきしつ‐ぜんきゅう〔‐ゼンキウ〕【石室善玖】

[1294~1389]室町初期の臨済宗の僧。筑前の人。元に渡って古林清茂くりんせいむに学び、帰朝後、天竜寺円覚寺建長寺などを歴住。五山文学興隆の基礎を築いた。

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朝日日本歴史人物事典 「石室善玖」の解説

石室善玖

没年:康応1/元中6.9.25(1389.10.14)
生年永仁1(1293)
鎌倉後期・南北朝期の臨済宗の五山禅僧。筑前(福岡県)姪ノ浜の人。文保2(1318)年に入元し,金陵(南京)保寧寺の古林清茂の法を嗣ぐ。8年後,清拙正澄に同伴して帰国,筑前の顕孝寺,聖福寺,さらに京都の万寿寺,天竜寺などを歴住した。その後,鎌倉円覚寺,建長寺に住し,武蔵(埼玉県)岩築の平林寺開山となった。『石室玖禅師語録』があり,また偈頌(禅僧の漢詩)に優れ日本の五山文学に影響を与えた。<参考文献>玉村竹二『五山禅僧伝記集成』

(佐藤秀孝)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石室善玖」の解説

石室善玖 せきしつ-ぜんきゅう

1294-1389 鎌倉-南北朝時代の僧。
永仁(えいにん)2年生まれ。臨済(りんざい)宗。文保(ぶんぽ)2年元(げん)(中国)にわたり,古林清茂(くりん-せいむ)の法をつぐ。帰国後,京都天竜寺,鎌倉円覚寺,建長寺の住持をつとめ,永和元=天授元年武蔵(むさし)岩槻(いわつき)(埼玉県)の平林寺の開山(かいさん)となる。康応元=元中6年9月25日死去。96歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。法名は「ぜんく」ともよむ。

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