日本歴史地名大系 「砂田村」の解説 砂田村すなたむら 栃木県:宇都宮市砂田村[現在地名]宇都宮市砂田町北は猿山(さるやま)新田、西は屋板(やいた)村と接する南北に細長い村で、北部がやや高くなる。天正一四年(一五八六)宇都宮勢と常陸の水谷出羽入道蟠龍は砂田で対陣したが、結城晴朝が間に入って和睦した(宇都宮興廃記)。元禄郷帳に東横田(ひがしよこた)村枝郷として砂田村があり、高九五石余。近世を通じ宇都宮藩領。正徳年間(一七一一―一六)の宇都宮領村々諸割物高付覚帳(五月女久五文書)では人足勤高七七石九斗余、堰川除人足往還人馬勤高は七九石三斗余。享保元年(一七一六)の雀宮(すずめのみや)宿助郷高七九石(「雀宮宿助郷帳」県立図書館蔵)。 砂田村いさごだむら 千葉県:山武郡大網白里町砂田村[現在地名]大網白里町砂田萱野(かやの)村の南に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一七六石。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に桂組の砂子田とあるのが当村をさすと思われ、旗本三淵領二〇〇石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高二〇六石余、家数一九、幕府領・旗本阿部領。 砂田村すなだむら 千葉県:君津市旧望陀郡地区砂田村[現在地名]君津市三田(さんだ)貝淵(かいふち)村の東に位置する。東は上総丘陵を背に集落を造り、久留里(くるり)道が北から南に通る。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高八二石。元禄郷帳・天保郷帳では高八一石余。 砂田村すなたむら 富山県:小矢部市砂田村[現在地名]小矢部市下中(しもなか)水落(みずおち)村の南、小矢部川と岸渡(がんど)川に挟まれた平地に立地。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一一八石・免三ツ五歩(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by