社会問題研究会(読み)しゃかいもんだいけんきゅうかい

改訂新版 世界大百科事典 「社会問題研究会」の意味・わかりやすい解説

社会問題研究会 (しゃかいもんだいけんきゅうかい)

(1)1892年冬,立憲自由党員の佐藤勇作,大道和一,上野岩太郎と,中江兆民門下の酒井雄三郎小島竜太郎によって結成された。しかし,上野論説〈自由主義の新領地〉が社会問題の解決を主張し,板垣退助の怒りを買ったために自然消滅した。

(2)1897年4月3日,日清戦争後の同盟罷工,労働運動の勃興のなかで,200名を集めて結成された。幹事中村太八郎樽井藤吉,西村玄道。週1回役員会,月1回例会を開き,普通選挙,土地国有,教育費国庫負担などをスローガンとしたが,雑多な思想持主の集りのためふるわず,中村が選挙問題に連座して入獄したこともあり,1年余で消滅した。なお,同じ思想傾向の会員によって,98年10月社会主義研究会が結成され,さらに1900年1月社会主義協会へと発展,平民社結成(1903)以前の社会主義運動の中心を担った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会問題研究会」の意味・わかりやすい解説

社会問題研究会
しゃかいもんだいけんきゅうかい

1897年(明治30)4月、信州松本から上京した中村太八郎が組織した、「学理ト実際ニ拠リ社会問題ヲ研究」することを目的とする研究会。幹事は中村、樽井藤吉、西村玄道の3名、評議員は天野為之、石川安次郎、片山潜ガルスト、小島龍太郎、酒井雄三郎、佐久間貞一ら30名、会員には、木下尚江幸徳秋水、田中正造ら200名余りが参加した。普通選挙、地租問題、労働問題、社会政策などが議論の対象となった。日清(にっしん)戦争後の産業発展のなかで各種の社会問題が発生する新しい状況が生れ、欧米各国の現状と対策に詳しい、当時の先端的知識人を結集したところにこの研究会の意義はあったが、1年余りで自然消滅した。

[山泉 進]

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世界大百科事典(旧版)内の社会問題研究会の言及

【酒井雄三郎】より

…1890年,パリ万国博覧会に農商務省事務官の資格で渡航,同年パリの第1回メーデーやブリュッセルでの第二インターナショナル大会に参加,その模様を《国民之友》に寄稿。帰国後,92年,小島竜太郎らと社会問題研究会を創立し,かたわら西園寺公望の世話で《近世欧州外交史》の翻訳等も行う。1900年,再度のパリ万国博に赴いた下宿先で3階の窓から落ちて客死。…

※「社会問題研究会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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