明治期のフランス学者で先駆的なヨーロッパ社会問題・社会運動の紹介者。肥前小城の鍋島支藩士の子に生まれ,佐賀中学を終えて中江兆民の仏学塾に入り,兆民の愛弟子として卒業後も講師・塾長代理等を務める。《東洋自由新聞》への寄書で起訴されたり,エミール・アコラス著《政理新論》の翻訳などもした。1890年,パリ万国博覧会に農商務省事務官の資格で渡航,同年パリの第1回メーデーやブリュッセルでの第二インターナショナル大会に参加,その模様を《国民之友》に寄稿。帰国後,92年,小島竜太郎らと社会問題研究会を創立し,かたわら西園寺公望の世話で《近世欧州外交史》の翻訳等も行う。1900年,再度のパリ万国博に赴いた下宿先で3階の窓から落ちて客死。神経衰弱による自殺ともいわれる。〈始終読書生之事とて何の履歴も無之〉き生涯(中江兆民)であった。
執筆者:栄沢 幸二
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(小宮一夫)
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社会評論家。肥前(ひぜん)国小城(おぎ)(佐賀県小城市)に生まれる。中江兆民(なかえちょうみん)の仏学塾に学んだ。1889年(明治22)に農商務省嘱託としてパリの万国博覧会に出張し、ついでパリ大学やブリュッセル大学で勉学。在欧中、「社会党の運動」やメーデーの記事「5月1日の社会党運動会に就て」を『国民之友』に寄稿し、91年の第二インターナショナル・ブリュッセル大会の見聞記を『国民新聞』に寄せるなど社会主義について紹介した。帰国後は社会問題研究会を組織し、日本における民権思想から社会主義への思想的橋渡しの役を果たしたが、明治33年12月9日にパリの宿舎から転落死するという謎(なぞ)の死を遂げた。
[岡本 宏]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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