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酒井雄三郎 さかいゆうざぶろう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

酒井雄三郎
さかいゆうざぶろう

[生]万延1(1860).熊本
[没]1900.12.9. パリ
明治の社会思想家。 1879年上京して中江兆民の仏学塾に入り,のちにはその講師,塾長代理などをつとめた。 90年万国博覧会がパリで開催された際,農商務省嘱託の事務官としてパリに渡り,万国博覧会の仕事にたずさわる一方,社会問題を研究,ヨーロッパの社会事情,社会運動に関する報告を雑誌『国民之友』に寄稿。

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百科事典マイペディアの解説

酒井雄三郎【さかいゆうざぶろう】

明治のフランス学者,政治評論家。肥前(ひぜん)小城(おぎ)藩士の子。中江兆民の塾に学び,1890年渡仏。在仏中社会問題に関心をもち,《国民之友》に社会問題,社会主義運動の記事を送る。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

酒井雄三郎 さかい-ゆうざぶろう

1860-1900 明治時代の評論家。
万延元年9月9日生まれ。中江兆民の仏学塾にまなぶ。明治22年パリ万国博覧会に派遣され,メーデーなどを「国民之友」に紹介。24年ブリュッセルの第2インターナショナル大会に日本人として初参加。帰国後,小島竜太郎らと社会問題研究会を創立。明治33年再度渡仏するが,12月9日パリで客死。41歳。肥前小城(おぎ)(佐賀県)出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

酒井雄三郎

没年:明治33.12.9(1900)
生年:万延1.9.9(1860.10.22)
明治時代の社会評論家。肥前国(佐賀県)小城藩士酒井忠六の4男。佐賀中学を卒業後,明治12(1879)年に中江兆民主宰の仏学塾に入る。22年パリ万博に農商務省より派遣され,滞仏中に社会問題に関心を寄せるようになり,社会主義運動やメーデーを『国民之友』などを通じて紹介する。24年には,ブリュッセルでの第2インターナショナル第2回大会に日本人としてはじめて参加した。25年に帰国し,社会問題研究会を設立。33年パリ万博に再び赴き,不慮の死を遂げた。その死に際して,師の兆民は,酒井は終生読書生だったので,何の履歴もないと徳富蘇峰に書き送っている。<参考文献>森銑三編『明治人物逸話辞典』上

(小宮一夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

さかいゆうざぶろう【酒井雄三郎】

1860‐1900(万延1‐明治33)
明治期のフランス学者で先駆的なヨーロッパ社会問題・社会運動の紹介者。肥前小城の鍋島支藩士の子に生まれ,佐賀中学を終えて中江兆民の仏学塾に入り,兆民の愛弟子として卒業後も講師・塾長代理等を務める。《東洋自由新聞》への寄書で起訴されたり,エミール・アコラス著《政理新論》の翻訳などもした。1890年,パリ万国博覧会に農商務省事務官の資格で渡航,同年パリの第1回メーデーやブリュッセルでの第二インターナショナル大会に参加,その模様を《国民之友》に寄稿。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

酒井雄三郎
さかいゆうざぶろう
(1860―1900)

社会評論家。肥前(ひぜん)国小城(おぎ)(佐賀県小城市)に生まれる。中江兆民(なかえちょうみん)の仏学塾に学んだ。1889年(明治22)に農商務省嘱託としてパリの万国博覧会に出張し、ついでパリ大学やブリュッセル大学で勉学。在欧中、「社会党の運動」やメーデーの記事「5月1日の社会党運動会に就て」を『国民之友』に寄稿し、91年の第二インターナショナル・ブリュッセル大会の見聞記を『国民新聞』に寄せるなど社会主義について紹介した。帰国後は社会問題研究会を組織し、日本における民権思想から社会主義への思想的橋渡しの役を果たしたが、明治33年12月9日にパリの宿舎から転落死するという謎(なぞ)の死を遂げた。[岡本 宏]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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