祖谷山東分(読み)いややまひがしぶん

日本歴史地名大系 「祖谷山東分」の解説

祖谷山東分
いややまひがしぶん

[現在地名]東祖谷山村 久保くぼ菅生すげおい西山にしやま九鬼くき中上なかうえかまたにはやし麦生土むじゆうと阿佐あさ古味こみ樫尾かしお小川おがわ新居屋にいや元井もつとい釣井つるい今井いまい高野たかの小島おしま佐野さの和田わだ大西おおにし若林わかばやし大枝おおえだ京上きようじよう下瀬しもせ栗枝渡くりしど奥の井おくのい落合おちあい西祖谷山村小祖谷おいや

東端つるぎ(一九五四・七メートル)、南の土佐境にさん(一八九三・四メートル)などがあり、周囲はいずれも標高一〇〇〇メートル以上の稜線で囲まれる。ほぼ中央を祖谷川が西に向かって曲流する。西は祖谷山西分(現西祖谷山村)、東は美馬みま一宇いちう(現一宇村)、南は土佐国長岡ながおか郡などに接する。祖谷山東・東祖谷・いや東などとも称され、「阿波志」・市原本「祖谷山旧記」などによると菅生くぼ(久保)、西山・落合・奥井おくのい栗枝渡くるすど・下瀬・大枝・阿佐・釣井・今井および小祖谷の一二名で構成されていた。各名は、北部の松尾まつお川流域に飛地状をなす小祖谷名を除き、祖谷川上流域に位置する。樫尾かしおと土佐国西峰にしみね(現高知県大豊町)との境の京柱きようばしら(標高一一五〇メートル)は、阿波木地師が通行したため、木地道ともよばれていた。とくに宝暦(一七五一―六四)中頃から天明(一七八一―八九)中頃まで土佐国への出稼が多く、西峰番所との交流も頻繁であった。天保一三年(一八四二)の祖谷山騒動で名子六〇〇人余が土佐国へ逃散した際もこの峠を通り、指導者はこの峠で曝首にされたという。当地は稗の産地で、天保の飢饉時に隣接する土佐国豊永とよなが(現大豊町)百姓が稗を買求めに来た際、口番所や大庄屋、名主がよく配慮し、通行手形は簡単に交付されたと伝える(大豊町史)。土産として黒黍などが知られた(阿波志)

明治一二年(一八七九)東祖谷山村と称し、その際小祖谷名と大枝名のうちしも名が西祖谷山村に編入された。落合の三所神社、栗枝渡の八幡神社、奥の井の住吉神社、大枝のほこ神社、釣井の三社神社、落合の愛宕神社、菅生の八幡神社の社叢は東祖谷の社叢群として県指定天然記念物。いずれも標高七〇〇―八〇〇メートルの間に位置する中間温帯林である。

〔菅生名〕

現東祖谷山村の東端、祖谷川の最上流部に位置。正平五年(一三五〇)七月二二日の粟野三位中将安堵状(菅生家文書)に祖山郷内菅生名とみえ、粟野三位中将が本領として同地を菅生左兵衛尉に安堵している。菅生氏は鎌倉期の阿波国守護小笠原氏の流れといわれ、南北朝期南朝方に属した。菅生家文書一三通と三階菱に「八幡大菩薩」と墨書した軍旗一流が伝わり、ともに県指定文化財。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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