日本歴史地名大系 「祖谷山東分」の解説
祖谷山東分
いややまひがしぶん
東端に
明治一二年(一八七九)東祖谷山村と称し、その際小祖谷名と大枝名のうち
〔菅生名〕
現東祖谷山村の東端、祖谷川の最上流部に位置。正平五年(一三五〇)七月二二日の粟野三位中将安堵状(菅生家文書)に祖山郷内菅生名とみえ、粟野三位中将が本領として同地を菅生左兵衛尉に安堵している。菅生氏は鎌倉期の阿波国守護小笠原氏の流れといわれ、南北朝期南朝方に属した。菅生家文書一三通と三階菱に「八幡大菩薩」と墨書した軍旗一流が伝わり、ともに県指定文化財。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報